【書評】ライブ講義・質的研究とは何か(ベーシック編,アドバンス編)

標題にある本書は,構造構成主義を体系化した西條剛央による質的研究の超入門書である.

超入門書といってもただたんにわかりやすく書いて,いっこうに内容が深まらないようなしょぼい本とはまったく異なる.

本書では,質的研究の実践で必ず突きあたる根本問題が見事に解かれて,しかもあらゆる質的研究で使える具体的な技法まで提示されているのだ.

まず,ベーシック編を見てみよう.

たとえば,西條はグランデッド・セオリー・アプローチの理論的飽和の多様な見解を検討したうえで,その問題点を次のように指摘する.

「ストラウスや戈木先生のように真摯に考える人は,『理論的飽和』は原理的に不可能だという結論に至るわけだよね.そして,それはおそらく正しい.僕もやはりこれで対象とする事象を全部説明できるとか,次の一事例をとってもまったくモデルが動かないという意味での理論的飽和は,原理的に不可能だと思う.けど,だとしたら論文の最後には必ず『理論的飽和には至っていない』って書かなきゃいけないことになるよね.それは原理上要請されるわけだから.でも,それだと困ったことが起こる.だって,ほんとにテキトウに作った理論と,きちんと分析をして作った理論に差がつかないことになっちゃうからね」(ベーシック編,p228)

つまり,質的研究(正確にはGTA)は従来の理論的飽和を使う限りにおいて,最後の詰めのところで何でもアリの相対主義に陥らざるを得ないということだ.

西條の問題提起は,従来の理論的飽和を原理的に推し進めていくと相対主義のデッドロックに乗り上げると指摘したものであり,極めて本質的なかたちで理論的飽和の根本問題を取り出している,と僕は思う.

では,西條は理論的飽和の根本問題をどう解くのか?

西條は以下のように論じている.

「原理上は,限定されたデータからくみ上げたモデルが,研究目的を達成できているかどうかっていうことを基準に判断するしかないはずなんだよね」(ベーシック編,p.232)

「基本的にはその理論(モデル)が飽和したかどうかは,研究目的と相関的に判断されるとしか考えようがないと思う.研究の目的を達成できている理論であれば,それはさしあたってそれで成功って言えるわけだからね.理論的飽和は目的相関的に判断されるってことだよね.だから,これに適切な方法概念名を付けるとしたら【目的相関的理論的飽和】ってことになる」(ベーシック編,p.231)

西條の出した答えは,特定の研究目的のもとで得られた理論は,その特定の研究目的に応えられる内容であれば理論的飽和に至ったとさしあたり判断できる,というものだ.

原理的に考える限りにおいて,私たちは欲望・関心・身体と相関的にしか価値・意味・存在を汲み取れないため,西條の出した上記の答えは「おそらくこの考え方でしか理論的飽和の問題は解けない」というレベルにまで達していると思う.

しかも,理論的飽和に代わる「目的相関的理論的飽和」という新たなツールを提示しているため,西條の議論は質的研究者が直面する現実問題にまで到達するようになっているのだ.

次に,アドバンス編に移ろう.

アドバンス編は,存在論,言語論,構造論,科学論,認識論を徹底して原理的に編みなおすことで,質的研究を本質的に再構築している.

これまでにも質的研究を扱った書籍はたくさんあるが,本書のように質的研究の課題を根本から消滅させることに成功したものはなかったように思う.

たとえば,西條は,従来からあるいくつかの質的研究を 詳細に検討したうえで,その問題点を次のように指摘する.

「『研究対象となる複雑な現象』とは何かといったことを含めて,『存在論的洞察』がなされていない.これが,理論的に補うべき第一点.第二点は,『言語論的洞察』が欠けているという点なんだ」(アドバンス編,p.120)

つまり,従来の質的研究は,立場の違いによって研究対象やデータの捉え方が違っていたが,そもそも研究対象とは何か,あるいは言葉(データ)とは何かという本質洞察が欠けていたというのである.

西條のこの指摘は,玉石混交の様相を呈する質的研究を鍛えなおしてゆく可能性を開くものである.

では,西條の答えはどのようなものか?

ここでは,西條の存在論的洞察を概観しておこう.

「本という『存在』も,僕らが可視光線を知覚したり,こうした五感という身体構造において,"そのように"受け取っているということだよね.だから,原理的にいえば『存在』というのは,このような身体-欲望-関心構造をもつ身において,そのように立ち現れてくるものであって,いかなる生物にとっても共通している純粋な『客観的存在』などではないということになる」(アドバンス編,p.133)

「一般的には,身体や認識構造が似通ってくる部分もあるから,共通了解がとれることもあるわけだけども,うまくいかないときに,それらがずれていたということも当然ありうるわけだよね.しかし,おそらく原理的には話は逆で,やり取りをしていくなかで,どうも同じように世界が見ているようだと確信されている,ってことなんだと思う.その関心相関的に分節された『現象の分節』のことを『広義の構造』と言うわけだ.だから,構造構成主義においては,『存在』は『身体-欲望-関心相関的に分節されたこと』(広義の構造)ということになるんだ.これを【関心相関的存在論】と呼ぶことにします」(アドバンス編,p.134)

西條の存在論的洞察の特徴は,「存在」を「身体-欲望-関心相関的に分節されたこと」と論じることで,現象を探求するあらゆる営みに通底する可能性を備えた「存在論」に達している点にある.

そのことを確認するには,「私たちの身体-欲望-関心からまったく独立した存在は原理的にありえるだろうか?」と考えてみればいい.

おそらく,そのような存在は,物語(フィクション)としてはありえても,原理的にはありえないはずだ.

西條は関心相関的存在論のことを慎重に「構造構成主義においては」と論じているが,そもそも構造構成主義はあらゆる事柄に妥当する「超メタ理論」であるため,関心相関的存在論は本質洞察に耐えうる普遍性を備えた存在論であるといえよう.

以上,ベーシック編からアドバンス編までざっと追ってきたが,本書で西條が提案した構造構成的質的研究法(SCQRM)は原理レベルから実践レベルまで首尾一貫して体系化されたものであり,質的研究の新しい可能性を開くものであると考えられる.

自らが行う質的研究を飛躍的に向上させたい方は,ぜひ本書を手に取りその有効性を確かめてみてほしい.

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