自主ゼミ その3

連載「医療の零度」をモチーフにした自主ゼミ第三回が開催されました。

ベースとなった論考は以下の通りです。

  • 京極 真:「方法」を整備する-「関心相関的本質観取」の定式化.看護学雑誌72(6),530-534,2008

今回は,忘年会も兼ねていたので,おいしいご飯とお酒(僕はジュース^^;)を味わいながら夜遅くまで議論しました。

関心相関的本質観取は,私にとっての真実をどんどん相対化していきながら,ある特定の観点から眺めたときに,私と他人の間で了解できる可能性のある考え方を見つけだす洞察の方法なのですが,その辺りのことはみんな理解できていたように思いました。

どうせなら関心相関的本質観取を実践してみようということで,ある事柄の本質を取りだしてみるゲームを行ってみました。

それのあり様をいろんな角度から考えていき,できるだけどのようなあり様にも妥当する一番の芯を取りだしていきました。

いろいろな見解が出されましたが,最終的に行きついた答えは・・・・・・内緒ですw

今回のゼミで,僕自身も関心相関的本質観取の使い方に対する気づきが深まったように思います。

たとえば,どんどん考えていったとき,僕たちは思考の迷路とでもいうべきような深みにはまって,そこから抜けだせなくなることがあると思います。

そうなると,何をどう考えていけばいいのかすら,わからなくなることでしょう。

そういうときに,この方法を観点として持っていれば,何のために洞察しているのか,と反省を促すことになるので,思考の迷路から抜けだし,よりうまく洞察を深めていきやすいんですよね。

また,やはりというべきなのかもしれませんが,この方法を使えるようになるためには,簡単な題材でどんどん試していく必要があるということです。

簡単な題材が何なのかを決めるのは難しいですが,ある程度,一般的に多くの人が現象していることがらはやりやすいと思います(関心相関的本質観取は,ある特定の関心のもとで現象を構造化しながら,構造の芯を定める思考方法なので)。

簡単な題材で慣れていって,臨床の複雑な問題に対してこの方法を用いる。

そういう段階付けがないと,おそらくたいていの臨床家や学生は,関心相関的本質観取のパワーを引きだす前に挫折すると思いました。

そして,やっぱり,この方法論に取りだした理路の妥当性を評価できるな理路を組みこんだ意義は少なくないです。

方法論上,「どうしてそれが問題を解く考え方といえるのか?」と最後に必ず吟味することになりますので,本当の意味で開かれた言語ゲームを展開しやすくなる。

この吟味を行うプロセスがないと,極端に言えば偉い人や声が大きい人の意見が無批判に通りかねませんが,関心相関的本質観取は意識的に取りだした理路に評価を加えるよう要請しますからね。

上記の論考は,本質観取に評価の理路を組みこむために書きいたのですが,(よく難しい内容で理解しずらいと言われますが(笑))やっぱ書いておいて良かったです。

次回は,臨床に関連する具体的問題を題材に,原理的思考(構造構成主義)を使う練習に入っていく予定です。