無理が通れば道理は引っ込む

ネットのニュース記事てみたのですが,臓器移植法改正を求める要望書が提出されたようです.

要望書の詳細はわかりませんが,僕が引っかかったのは「要望書では、脳死になった人が臓器提供を拒否する意思を示していない場合、年齢にかかわらず家族の承諾で臓器提供できるよう改正することを求めた」という点です(ソースはこちらの記事です ).

臓器移植が必要な方々のことを想うと,もっともらしい要望のように見えるし,感情的には同調できる部分もなくはないのですが,少し落ちついて考えるとやっぱ変な理屈だと思います.

上記の引用文は要するに,「意志表示していない人は,臓器移植に同意したものとみなします」ということです.

家族の承諾を得るからいいじゃないか,と思うかも知れませんが,家族はどんなに頑張っても本人にはなれません.

「みなし」でOKなら,これはもう何でもありです.

臓器移植の文脈におくとわかりにくいかも知れませんので,上記の引用文と同型構造の例を2つ挙げてみます.
  • あなたはこの家を買わないと意思表示していないので,買ったものとみなします
  • 意志表示できない患者は,医者の判断にすべて同意するものとみなします

どうでしょう?

これなら誰でもおかしいことに気づくはずです.

「みなし」でOKという話しは,実はこういう理屈を容認するということでもあるのです.

そもそもの臓器移植法の根本仮説は「自律」だったはずです.

つまり,もともと死の基準は三徴候(心停止,呼吸停止,瞳孔拡散)だったのが,医療技術の発展にともない脳死状態が人為的につくられるようになり,臓器移植法の枠組みが提示された後,私たちは自己の死を三徴候と脳死のどちらにするかを自己決定できるようになった,ということです.

だから,臓器移植法の大前提は自己決定(自律)であり,自己決定していない者は臓器移植の土俵には乗らないことが原則だったはずなのです.

ところが,時が経ってこのニュースです.

他人が勝手に同意したことと「みなす」ということと,本人が自発的に自己決定するということは,どう考えても包含関係にはなく,まったく次元の異なる話しです.

そもそも「脳死は人の死である」という前提それ自体から揺らぎすケースだって報告されているわけですし,もともとの臓器移植法の原則から踏みはずした「みなし」規定が反映された法改正がなされる以前に,慎重で忌憚ない議論が行われることを願うばかりです.

僕はすべての臓器移植に反対というわけではありません.

そうではなく,「みなし」で脳死臓器移植するのはちょっとヤバいよと言っているだけで,自己決定によってそれをする人にとやかくいうつもりはありません.

僕個人としては,脳死臓器移植を推進するよりも,たとえば人工臓器からの移植や異種移植などをもっと実用化できるよう取りくんだ方が,不足する臓器は補われるようになるのではないかと考えていますが.

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