解決と解明


構造構成主義の諸文献を注意深く読めば気づくと思いますが、この領域では信念対立の解決ではなく、『解明』が強調されています。

文献によっては解明ではなく、解消という表現が使用されており、両概念が混同して使われてもいます。

ですけども、丁寧に読めばわかるように、解明と解消はほとんど同義で用いられています。

また、最初期の文献では、解明(解消)にあたる部分に、解決という表現が使われているものもあります。

しかし、精読すれば、その意味の中心には解明という表現で言いあてたいものがあると読みとけるものです。

最近は、解決と解明が混同して使用されることはほとんどありません。

つまり、構造構成主義では、解決よりも解明に力点が置かれてきた伝統がある、ということができるでしょう。

では、解決と解明は何が違うのでしょうか。

両者はともに、問題を終わらせるという点では共通しています。

だけど、問題の「終わらせ方」がぜんぜん違うのです。




解決は、問題の成立を前提にして、それに対する結果を示すことで、終わらせようとします。

それに対して、解明は、問題の成立を前提にせず、問題を問題でなくしてしまうことで、終わらせてしまうのです。

ちょっとわかりにくいので、綱引きを例に考えましょう。

太郎くんと次郎くんが綱引しています。

普通、綱引きは太郎くんと次郎くんのいずれかが勝つまで続き、どちらかが勝てば終わります。

もちろん、引き分けもあるでしょう。

いずれにしても、勝敗(結果)によって、綱引き(問題)が終了する。

つまり、解決したわけです。

だけども、負けた方は悔しいですから、再度、綱引きに挑戦したがるかもしれません。

すると、綱引き(問題)がまた成立してしまうかもしれない。

一方、解明ではどうなるのでしょうか。

結論から言えば、どちらかが引いている綱から手を離してしまえばよいのです。

すると、綱引き(問題)が綱引き(問題)として成立しなくなりますよね。

綱引きという呪縛から解きはなたれた太郎くんと次郎くんは、そこから無数の選択と行為の可能性の前に立つことができます。

解明された太郎くんと次郎くんは、もう綱引きしなくてもよいのです。

もちろん、綱引したければ、することもできます。

だけどもそれは、他のゲームを開始できる自由が担保されたうえでの話しです。

だから、解明は、問題と結果の関係に暗黙のうちにしばられる解決とは、方法の階型が異なるのです。

もちろん、問題の解明によって、問題が解決されることもあります。

だけども、それは二次的なもので、解明の基本は問題そのものの消滅なのです。