パラダイムを越境した作業療法のプラグマティックなコラボレーションはなぜつまづくのか?

愚痴OTさんのブログで「作業療法コラボレーション」が話題沸騰中です。
コメント欄に書きこもうかと思ったのですが、長くなりそうだったので自分のブログに書くことにしました。
なお、以下の議論は、特定の会で行われた内容を指すのではなく、異なるパラダイムに属する実践モデルのコラボレーション一般に対して行ったものですので、悪しからず。
さて、僕がこれまでいくつかの論文で論証してきたように、異なるパラダイムに属する実践モデルのコラボレーションは、プラグマティックに行おうとしても必ずどこかでヒズミが生じます。
プラグマティックなコラボレーションは「問題を解決できる実践モデルのコンボが適切である」と考えるわけですが、残念ながらこの魅惑的な立場はそれほど有効に機能しません。
なぜなら、「何をもって問題を解決できたと言えるのか」「何をもって適切なコンボと言えるのか」という点がブラインドされたままであり、他者には了解にいたれる術が担保さていないからです。
だから、ある立場の作業療法士は「問題解決できた」と言っても、別の立場の作業療法士は「それでは不十分だ」と言う余地が残され、コラボレーションが機能不全に陥ってしまいます。
同様に、別の作業療法士は「適切なコラボレーションだ」と言っても、さらに別の作業療法士は「不適切なコラボレーションだ」と言う余地が残されてしまい、どうしても歯車が噛みあわない事態になってしまいます。
せいぜい「できる人はできる」が良いところです。
作業療法は創始者のひとりであるAdolf MeyerがプラグマティストのJohn Deweyから薫陶を受けたり、プラグマティズムの本場であるアメリカで育まれたこともあって、プラグマティックな実践には親和性があります。
特定のパラダイムに根ざした作業療法であれば、それが問題として顕在化することはほとんどありません。
だけども、異なるパラダイムを越境したコラボレーションでは、物事の内容を規定する底板となる理路が欠けるプラグマティズムが足かせとなってしまいます。
今後、異なるパラダイムにまたがるコラボレーションは、作業療法で不可逆的に進行していく思いますから、なおさら上記の問題に自覚的であるべきでしょう。
でなければ、作業療法のコラボレーションは機能不全がゴールになってしまい、結局のところ「やっても無駄だ」という評価を得ておしまいになってしまいかねません。
繰り返しますが、プラグマティックなコラボレーションという実践は魅惑的ですが、素朴に感じるほど有効ではありません。
詳細な議論に関心のある方は、以下の論文にあたってください。
  • 京極 真:「目的相関的実践原理」という新次元の実践法-構造構成的障害論を通して.構造構成主義研究2,209-229,2008
  • 京極 真:構造構成的医療論の構想-次世代医療の原理.構造構成主義研究1, 104-127,2007
  • 京極 真:作業療法の超メタ理論の理論的検討-プラグマティズム,構成主義,構造構成主義の比較検討を通して.人間総合科学会誌3(1),53-62,2007
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