作業療法士は構造構成学でアイデンティティークライシス?

作業療法士の方々に構造構成学(構造構成主義)を説明すると、「作業はどうなるの?」と言う質問をときどき受けることがあります。
構造構成学は、現実的制約を踏まえたうえで目的を達成しうるであろう方法を活用していこう、と論陣を張っています(方法の原理)。
言い換えれば、特定の制約下で目的の達成に「クライエントにとって意味のある作業の実現」という方法が役に立たなければ、それは選択されないということになるためです。
だから、一部の作業療法士(あるいは一部の作業療法学生)から「作業はどうなるの?私たちは作業の専門家なのに、作業を使わないの?」という質問が起こるのです。
今のところ、(僕が知る限りでは)こういう質問を発したことがあるのは作業療法士だけです。
医師に構造構成学を説明しても、看護師に構造構成学を説明しても、理学療法士に構造構成学を説明しても、介護福祉士に構造構成学を説明しても、患者に構造構成学を説明しても、一般国民に構造構成学を説明しても、そういう質問が発せられたことは、(今のところ僕が知る範囲では)一度もありません。
ただの一度もです。
このことの意味を、僕たち作業療法士(作業療法学生)はよく考える必要があると思います。
つまり、目的達成のために有益な方法を使うというスタンスに、拒否感を覚えたり、躊躇することによって生じる「利益」と「損失」を秤にかける必要があるのです。
僕の感度では、それによって生じる利益が損失を上回ることはありません。
様々な専門家がしのぎを削る現代において、目的達成に役立つ方法を積極的に使う気になれないことで生じるコストは、長期的に大きな損失へと発展していくことになるはずだからです。
だから、方法の原理に躊躇したり、拒絶するよりも、どのような条件のもとでならば、作業がその他の方法を圧倒して有益な方法になりえるか、を考える努力を行ったほうがよいだろう、というのが僕の考えです。
つまり、今ここで「作業の専門家」であることにこだわって、目的達成に有益な方法を活用するという論法をはねのけるよりも、その論法にのっかったうえで「作業のパワーを最大化できる」条件を備えることが、長期的には作業療法士のためになるのではないか、と思うわけです。
なお、僕の考えでは、構造構成学は作業療法にアイデンティティークライシスをもたらすものではありません。
むしろ、クライエントにとって意味のある作業を実現する際に生じる様々な信念対立を、少しでも低減するのに役立ってくれるはずです。
その意味で、構造構成学は作業療法を後押ししてくれるものになるでしょう。

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