よい指導とは何か?〜懲罰的指導から教育的指導へ


昨晩、問題意識が沸点に達し、Twitterに連投した内容をFacebookでまとめてくださった先生がいました。

お忙しいなか、まとめてくださってありがとうございました!

転載する許可を頂けましたので、以下に貼付けておきます。

僕がTwitterで書いた内容は青色にしています(一カ所だけ誤字を修正しました)。

見逃した方も再読したい方も、ぜひお読みになってください。

自分で言うのもあれですけど、なかなか面白いですよ。

*****以下、許可を得てコピペ*****

京極先生の教育に関するツィートまとめ(^^)。




新卒の作業療法士が各職場で働きはじめて4ヶ月目に入ろうとしていますが、先輩作業療法士の皆さんは後輩をどう指導しているんでしょうか。この時期になると、やたら後輩を厳しく指導する先輩がいるという話を色んなところから聞きますけど、それってちっとも教育的ではないんですよ。知ってます?

「厳しく叱責する」「質問攻めにする」ことで人間はどうなるかというと単純に「思考停止」するんですよ。思考停止した作業療法士は、次に自分で考えることはできなくなります。つまり他人を追い込むような厳しい指導は、人を成長させるどころか萎縮させるんですよね。隷属する人間を作るだけです。

教育の本質は「自由の実質化」です。つまり新人作業療法士が自分で考えて行動できるようにすること、が先輩作業療法士に求められる教育的指導です。叱責したり、質問攻めにしたりする懲罰的指導は、これの真逆です。もう一度言いますが、人間は厳しく指導され続けると思考停止に追い込まれます。

厳しい指導のなかには「お前のやっていることは無意味だ」とか「まったくなってない」という全否定も含まれます。非常に強い言い方で、言った本人は満足かもしれません。だけど、実はこの内容そのものが、言ってもしょうがない空虚なものなんですよ。つまり無意味なんです。知っていました?

理由は意味は立場によって変わるので、どんなことでも無意味だと断定できないからです。またなっていないかどうかも、後になってみないとわからないし、その判断も立場によって変わるからです。「お前のやっていることは無意味だ」とか「まったくなってない」という指導は、逆説的ですけど無意味です。

先輩作業療法士にとって後輩の教育は義務です。だけど後輩作業療法士を潰すような懲罰的指導は教育ではありません。もう一度言いますが、教育の本質は「自由の実質化」です。後輩作業療法士が、どうすれば自分で考えてしっかり実践できるようになるか。その条件を作るのが、教育的指導です。

もし懲罰的指導以外のやり方を知らないなら教育的指導の技術を身につけるか、その余裕がないならせめて見守る勇気も持ちましょう。矢継ぎ早に質問攻めしたり、叱責するよりも、成長を信じてあげる方がよほど教育的ですし、成長していきますよ。

見守る勇気すら持てない場合は、もしかしたら隠れたサディスティックな性向があるのかもしれません。立場の弱い人に際限ない言葉の暴力がぶつけられるのはほとんど犯罪ですから、自身の性向のヤバさに自覚をもってSM等の趣味を持った人同士で発散するようにしましょう。これマジですよ。

僕がこういう言うと、善意で指導していると答える人がいます。だけど善意が善行である保証はありません。善意が悪行だということも十分にありえるのです。そして物事の善悪は立場によって決まります。教育の本質は自由の実質化。この立場から指導の善悪は決まります。懲罰的指導はどう判断できます?

結論を言うと、懲罰的指導は教育の本質である「自由の実質化」という立場からは「アウト」です。懲罰的指導は人間を萎縮させ、アンダーアチーブに追い込みます。懲罰的指導を受けた人間が、物事をのびやかに考えて実践していける、自律した実践家になった例を僕はほとんど知りません。

僕は優秀な若手が、懲罰的指導によって能力を発揮できなくなった複数の例を知っています。懲罰的指導を行う人も善かれと思ってやっていると思います。が、それでは結果はともないません。何をやっても責めたてられたら、人は奴隷化するだけです。そこに希望も可能性もありません。

作業療法にとって人材は宝です。優秀であればあるほど、そうです。懲罰的指導は、ときに優秀な人材を潰すものになります。結果としてそれは、クライエント、国民、作業療法士の大きな損害になります。宝物にウンコをぶつけてだいなしにするような下品な行為は、もうやめにしませんか。

こうやってTwitterで演説しても、実際のところ問題のあるような人たちには届かないんですよね。例え問題のある人が見ていても、そういう人は「自分のことではない」と思ってしまうんです。でも志のある人にわずかでも声が届き、その現場で少しでも良い影響がでれば良いと願っています。

もし僕のtweetを見ている人のなかで、懲罰的指導を受けて萎縮している新人作業療法士がいたら我慢だけはしないでください。毎日毎日嫌みを言われて、ひたすら耐えるというのは愚の骨頂です。褒めておだてるもよし、上司のさらに上司にかけあって間に入ってもらうもよし、積極的に造反するもよし。

懲罰的指導を行う上司を持った場合、最も最悪な対応はじっと我慢することです。そんなことしていたら、一人前に仕事ができるようになる前に職業人生は終わるに違いありません。人生は短いです。我慢している暇などありません。もちろんあなたがマゾヒストで我慢が楽しいならそれもよいですけど。

こうやっていろいろ書くと、忠告のtweetやメールが来たりするんですが、これもなかなか面白い現象ですね、笑。僕はただ、新人作業療法士が成長できる指導を心がけようね、と言っているだけなんですけど。

ちなみにここで論じたようなことは、次作の信念対立解明アプローチでも論じています(全部ではないけど)。教育の仕方をめぐる信念対立なんですよねぇ。だから一連のtweetは僕の研究テーマに関連したものでもあるんです。

※長くなりましたが、凄く面白い内容ではないですか?

ある意味懲罰的な指導を受けていた経験のある私は、いつも自分の仕事や給料や生きがいや家族を養う役目を失う恐怖感に苛まれながら過ごしていました。そんな状態で良い仕事が出来るわけないですよね。今いる場所で自分が周囲とともに相補的に成長していけることが凄く大事だし、そこに居てもいいんだっていう安心感が充実した思考を生み出します。組織やチーム、地域を愛せるかどうか、それが自分の専門性に繋がり、まちづくりにつながると私は感じてますし、そうやって育ってきました。

結果私は造反しましたが、間違いなく成功だと感じてます(^^)。造反万歳です\(^o^)。

自由ってのは、楽じゃない、自分の責任で動くこと。

奴隷になるのは、対象者に対する自分の責任を放棄することやと思います。

京極先生ありがとうございます。また勇気もらえました。