メリークリスマス!

世はクリスマスで浮ついているが、僕は相変わらず原稿執筆に勤しんでいる。

クリスマスといえば恋愛である。

というわけで、世紀のラブレター集である『アーレント=ハイデガー往復書簡』を再読してみた。

さて、2人は言わずと知れた希代の哲学者である。

当時、ハイデガーは35歳。

妻と2人の子供がいた。

他方、アーレントは18歳。

彼女はハイデガーの教え子あると同時に、恋人でもあった。

ハイデガーの一目惚れからはじまった2人の交流は、彼の往路を変えることはなかったものの、その後、50年にわたって続くこととなった。

もちろん、この50年は順調だったわけではない。




この間、2人は激動の時代に翻弄され、長い間、音信不通になったこともあった(ハイデガーはナチスを擁護し、アーレントはナチスが殲滅しようとしたユダヤ人だった)。

しかし、死が2人を分つまで、かたちを変えながら交流し続けたのだった。

本書はその50年間のラブレター集なのである。

ところで、2人は要するに不倫関係である。

しかも師弟関係。

当時も現代も許されることのない、禁断の恋愛である。

周囲に知られたら批判されるはずだし、社会的信用も失墜するだろう(禁断の恋愛関係が公になったのは2人の死後である)。

だから当時、2人とも周囲に知られないよう細心の注意を払っている。

しかし禁断の恋愛は、他の恋愛に比べて汚い恋愛なのか。

本書を読んで、必ずしもそうではないと思った。

どんな恋愛でも、大なり小なり他人に何かを求めるものである。

初恋であれば、ただただ相手に受け入れてもらいたいと期待するかもしれない。

肉体関係が主眼の恋愛だったら、気持ちよいセックスを求めることだろう。

もしかしたら無償の恋愛があるという人がいるかもしれない。

しかしそれは、相手が自分につきあってくれていることを考慮できていない点で、ほとんどストーカーである。

すると、何も期待しない純粋無垢な恋愛はフィクションだという話しになり、現実のすべての恋愛は大なり小なり不純だということになる。

つまり世間一般に受け入れられる綺麗な恋愛は実のところ綺麗ではなく、禁断の恋愛が特に汚れているわけではないのだ。

だからと言って、もちろん禁断の恋愛を薦めるわけではない。

禁断である以上、普通の恋愛よりもしょっぱい体験になりやすいだろうからだ。

しかし、本書を読んだ後、ハイデガーとアーレントという希代の哲学者がさまざまな苦難を乗り越え、50年間にもわたって交流し続ける契機なった「恋愛の意味」を考えざるを得なかった。

恋愛はさまざまな意味を含む複雑なゲームであり、関係性のみによって一意に決めることはできないのだ。

そしてどんな恋愛でも不純だから、自身の恋愛がピュアかどうかで悩む必要はないのである。

それよりも、恋愛関係に至れた相手がいたこと自体に、まずは感謝しようではないか。

本書は、現代の恋する人たちにそう教えているように思った。

恋愛しているすべての人に幸あれ。

メリークリスマス!