クールに疑う

あまり知られていないかもしれないが、僕はevidence-based practiceの理論研究に取り組んできた。

当時、evidence-based practiceはプラグマティックにはうまく行っているけども、従来のエビデンスの根本図式はエビデンスの多様性にともなって危うくなっきたと考えていたからである。

そのため、論理的に整合性のある理論を整理する必要があると考えて、もうひとつのevidence-based practice理論の構築に取りかかったのだ。

その試みの成果が、structural constructivist evidence based practiceである。

僕は従来のそれとは哲学的基盤から異なる理論を作ろうとしたのであった。

いろいろな人がevidence-based practiceを論じているけども、共通しているのは実践家に疑う心を持つよう求めている点である。

自分たちがいまやろうとしていることは、さしあたり妥当と言えるのか、を問い、より妥当な実践を展開する可能性を確保するよう要請しているのである。

『信念対立解明アプローチ入門』の実践の原理で詳しく論じたように、実践の本質のひとつは確率的遂行である。

つまり、実践が妥当かどうかは、突きつめればやってみた後でないとわからない。

実践は先行きが不透明なところがあるから、心のどこかで「これでいける!」と信じないとできないこともある。




しかし自分がよいと信じることと、確からしい実践かどうかは別なのだ。

evidence-based practiceはそう僕たちに教えてくれる。

実践家には自分がよいと思う実践を、クールに疑う心が必要なのだ。