ただたんにそこにいる自由

実践と目的は不可分であるため、実践家にとって「何のために」を問い続けることは避けられない。

実践とは、状況と目的に応じて確率的に遂行されることだからである。

だから、僕たちはヘルスケアの対象者に「何のために」を求めるが、しかし本来、生命に目的はない可能性も無視することはできない。

昨年、息子たちと公園で遊んでいたら、ミンミン鳴いていた蝉がカマキリにいきなり捕食された場面にたまたま遭遇した。




驚いたことに、そのすぐ横で、別の蝉が逃げることもなく鳴き続けていた。

蝉の目的が「生きること」ならば、この蝉の行動は不合理である。

しかし、合理も不合理も人間が考えだしたフィクションだとすれば、蝉はただ鳴いていたのである。

人間と蝉を単純比較することはできない。

それは承知のうえで、僕は、生命にも目的があると思うのは、僕たちが目的と不可分な実践に慣れすぎたせいなのかもしれないと思った。

実践家にとって目的は重要である。

他方、そうでない人にとって、無目的もまた重要である可能性があることも忘れてはならないと思う。

僕たちには目的を意識することなく、ただたんにそこにいる自由がある。