読まずに批判するとはどういうことか

おそらく一般的な感度からすると、本を批判するときは読んでから行うものだ、と思う。

だけど、なかには「本は読んでいないけど批判する」人がいることも事実で、僕はたまーにこの「読まずに批判する」人たちから批判を受けることがある。

なぜ僕が、相手が読まずに批判してきているとわかるかというと、相手が「あなたの本は読んでないけど」とご丁寧に明言してくれるからだ。

前提を確認しておくと、本を読まずに批判する自由は、誰にでもある

例えば、表紙だけ見て「ダサい本だ」とか、ページをぱらぱらめくって「文字が多いから読む気がしない」とか、ね。

もしかしたらタイトルが気にくわない、とか、著者の名前が奇妙だ、とか言う人もいるか

もしれないけど、そういうことを言う自由が私たちにはある。

僕はそうした自由を認めている。




だけども「読まずに批判する」人は、そのリスクも受け入れる必要があるだろうと思う。

典型的なリスクは「的外れな批判」だと反論されることだ。

「読まずに批判する」人は、中身を精査せずに批判するわけだから、「的外れな批判」を展開する確率はとても高く、そのぶんひどく反論される可能性も高い。

このリスクは受け入れておかないと、後でごちゃごちゃ言ってさらに下品な振る舞いになりかねない。

もう一つは、とても滑稽だと思われるリスクがあると思う。

理解を促すために、「読まずに批判する」ことと同型の別例をいくつか挙げてみる
  • 「あそこの店の料理はとても不味いんだよね。食ったことねーけど」
  • 「おしゃれな服ってつかれるよね。着たことねーけど」
  • 「美人とつきあうと振りまわされるぜ。つきあったことねーけど」
  • 「あの最新型のパソコンは使いにくいよ。使ったことねーけど」
  • 「セックスって疲れるよね。やったことねーけど」
これらの例は、構造的には「本を読まずに批判する」ことと同型である。

そこには、まともに相手したくなくなるような、何とも言えない滑稽さが漂っていないだろうか。

本を読まずに批判することは、やりようによっては知的な言語ゲームっぽく見えなくもないのでわかりにくいかもしれないが、別の例で確認するととっても滑稽な感じがわかると思う。
本を読まずに批判する自由は誰にでもある。

しかしこうしたリスクを考慮すると、批判するときはちゃんと読んでからにした方がよい、と僕個人は思う。

もちろんこのブログ記事を読んで、あなた自身がどうするかは僕の知ったことではない。