書評:誰も教えてくれなかったスピリチュアルケア

著者より献本御礼。




本書の大きな特徴は、スピリチュアルケアの「本質」を洞察し、自他ともに了解に至れる可能性を確保した「納得解」として提示しているところにある、と思う。

通常この手の書籍は、著者が解をトップダウンで示し、「なぜそう言えるのか」という問いが封印されたまま議論を展開しがちだ。

それに対して本書は、解に至るまでの議論の道筋を丁寧に開示しており、読者ひとりひとりが自分の頭で検討して「確かにこう考える他ない」と納得しうる可能性が確保されている。

スピリチュアリティケアは、ともすればつかみどころがないように感じられる概念であるため、本書のこの特徴はとても重要である。




もちろん、吟味を通して納得できない読者もいるかもしれないが、それは本質的な問題ではなく、むしろそれが契機になって読者のスピリチュアリティケアへの洞察が深まると思う。

繰り返すが、重要なことは、スピリチュアリティケアという難しい題材で、納得解に至るまでの可能性の理路がきちんと開示されている、という点である。

例えば本書では、スピリチュアリティの本体仮説は以下のように提示されている。
スピリチュアリティの本体は、「シンボル化能力」と「メタ能力」である(p.128) 
これだけ読むと「何のこっちゃ!?」と思うかもしれないが、著者はこの本体仮説に至るまでの理路の道筋を示している。

その全容は本書で確認してほしいので、そのさわりの部分(理路)を少しだけ紹介する。
著者はまず目的を示す。
次に、スピリチュアリティの本体に迫ってみたいと思います(p.124)
目的を示した後に、この目的を達成するための理路の底板を洞察しはじめる。
人間は、意識というものをもつからこそ、「スピリチュアルな経験」をし、スピリチュアルペインを感じるのであろうことは間違いありません(p.124)
ここから著者はさらに洞察を深め、意識という基準では人間と動物の境界設定が不可能だ、という理路にたどりつく。
意識をもつのは、人間だけではないと考えられています。意識の具体的内容はともかくとして、犬には犬の、カラスにはカラスの、コウモリにはコウモリの意識があるにちがいありません(p.125)
著者は、この理路からさらに洞察の強度を高めていき、意識は人間でも動物でもあるかもしれないものの、人間の意識という構造が成立する条件があるはずだ、という理路を展開していく。
人間に固有の、あるいは人間において特に発達した、意識の中身があるに違いありません(p.125)
つまりこの箇所では、意識という基準だけでは人間と動物の境界設定はできないものの、それでもなお私たちは人間の意識の本質を取り出せるはずだ、という理路を展開している。

大事なことは、本体仮説に至るまでの理路の道筋が読者に開かれているため、読者はひとつひとつの理路を検討しながら読むことができ、なおかつ「確かにそう考えることができる」という水準の議論が展開しているところにある。

スピリチュアリティケアはつかみどころがないように感じられる概念であるため、本書のこの構成はつかみどころがあるようにするために非常に重要である。

それによって、スピリチュアリティの共通理解の地平を開き、スピリチュアリティケアの実践の視界を広げることにつながるからだ。

多くの人に本書を読んで頂き、スピリチュアリティケアの理解を深めて、それぞれの臨床で役立ててほしいと思う。