書評:教育の力(苫野一徳・著)

著者より献本御礼。



本書の独創と意義は、著者が構築した教育と社会の原理に根ざし、それを実質化するための具体的プランを提示したところにある。

著者が提案する教育の原理はこうだ。
「各人の<自由>および社会における<自由の相互承認>の、<教養=力能>を通した実質化」(pp.24-25)
つまり教育は、各人が自由になりうる条件を育むためのシステムであり、自他の自由を承認、調停しあいながら生きていけるようにしていくための装置である、と理解することができると思われる。



本書においてこの教育の原理は、約一万年の人類の歴史を振り返り、繰り返される殺しあいに原理的な終焉をもたらす理路(ヘーゲルの自由の相互承認)から導出するかたちで提示されている。


丁寧に論証されているので、教育の原理は確かに自他ともに了解できる納得解に達していると考えられる。

本書でも指摘されているように、教育は信念対立に事欠かない領域であり、その不毛さから脱するために教育の根底に徹底した原理を置くことは非常に重要なポイントになる。

原理は、立場の違いを越えて機能する共通基盤になりうるからだ。

著者はこの原理に、一般福祉の原理、目的・状況相関的方法選択の原理を縦横にからめながら、教育の原理を実質化する具体的プランを提案していく。

著者の具体的プランは、以下の3点にまとめることができる(p.238)。
「学びの『個別化・共同化・プロジェクト化』の推進」
「教師の実践と成長を支えるための、教育行政による『支援』の充実」
「自己組織化する学びのネットワークの、<一般福祉>促進のための“再ネットワーク化”」
いずれもこれからの教育のために検討に値する提案だと思うが、そのなかからひとつだけ紹介しておこう。

教育機関でたびたび問題になる「いじめ」の対策として、本書では道徳教育やカウンセラー配置よりも「人間関係の流動化」の重要性を説いている。

少し長くなるが、大事なところなので引用しておこう。
「それぞれの生徒が、自分なりの仕方で多様な人たちと多様な人間関係をできるだけ豊かにつくっていける環境を整備することです。過度に同質性を求められる集団の中で、時に“サバイバル”しなければならない空間に子どもたちを閉じ込めるのではなく、「人間関係の流動性」をある程度担保し、同質性から離れられる機会を保証するのです。そのことによって、多様な生徒たちが、<自由>な存在同士として相互承認関係を互いに築き合っていけるようになるような機会をつくり出す。そうした一定の流動性に開かれた学校空間の設計が、今日きわめて重要なのではないかと思います」(p.173)
この提案は、極めてまっとうなものだと思う。

いじめの大きな要因のひとつは、逃げ場のない閉鎖された空間の成立にあるからだ。

したがって、本書の提案はいじめの成立条件を根底から突き崩すものであり、根本的な対策になりうるだろうと思う。

このように、本書では教育と社会の原理にそって、教育の質の底上げに通じるような具体的プランがいくつも示されており、今後の実践的展開に期待を膨らまさざるを得ない内容になっている。

デューイが自身の教育哲学を実践する「実験学校」を作ったように、本書の提案を実践する人たちが生まれることを願う。