祝:ゴールデン・ニカ受賞『ふんばろう東日本支援プロジェクト』

西條剛央さんたちがはじめた、ふんばろう東日本支援プロジェクトがPrix ArsElectronicaにおいて最優秀賞にあたるゴールデン・ニカを受賞しました。

西條さんから事前に聞いていたのですが、改めてプレスリリースされた内容を見ると喜びもひとしおです。

多くの被災者と支援者との協働にはいろんな苦労があったと思うけど、こういうかたちでひとつの結実を向かえて本当に良かったと思います。

おめでとうございます!




プレスリリースの後半は、構造構成主義にも言及されています。

この受賞は、実践の原理としての構造構成主義の利点と課題が見直される機会になるかもしれません。

僕は、西條さんが2003年に3本の紀要論文で構造構成主義の骨格を提案した後からずっと、構造構成主義研究に取り組んできたので学的営為のさらなる活性化は大歓迎です。

今よりも多くの方が研究に参画してくれるとうれしいです。

以下、西條剛央さんのFacebookから転載しておきます。

https://www.facebook.com/saijotakeo/posts/634413536627046?comment_id=634681949933538&offset=0&total_comments=20&notif_t=feed_comment_reply

*****
【シェア拡散用:Prix ArsElectronicaにおけるゴールデン・ニカ受賞の御礼とご報告】

おかげさまで、Prix ArsElectronicaという世界で最も歴史あるデジタルメディアのコンペティションにおいて「ふんばろう東日本支援プロジェクト」が最優秀賞にあたるゴールデン・ニカを受賞しました。

Prix ArsElectronicaとは、オーストリアにある文化機関「アルスエレクトロニカ」が主催する国際コンペティションで、「アート・テクノロジー・社会」をテーマに、社会を動かすイノベーティブなアイデアや取り組みを世界各地から選出し奨励することを目的としたものです。その最高賞であるゴールデン・ニカ賞は「コンピューター界のオスカー」とも呼ばれているそうです。

日本でのゴールデン・ニカ賞(最優秀賞)の受賞者には、坂本龍一さんが1996年にinteractive musicの部門で受賞するなど何人かの受賞者がおりますが、コミュニティ部門でのゴールデン・ニカは国内初受賞とのことです(他の部門をあわせても日本での最優秀賞受賞は7年ぶりとのこと)。

このコミュニティ部門では、過去、Webの創設にあたるWWW(World Wide Web)や Wikipediaがゴールデン・ニカを受賞、WikiLeaks が準グランプリを受賞するなど、実際に、その後世界を変えてきた枠組みに対して与えられてきたものです。今、それを受賞したことの意味をあらためて考えています。

「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は明確な境界をもたない市民意思機能です。

この受賞は、これまで無償のボランティアとして昼夜を問わず運営を支えてくれた3000人にのぼるスタッフや、自ら被災したにもかかわらず立ち上がった現地のボランティア、定期的にご寄付いただいている1000名以上のサポータークラブの皆様、協力してくださった70社以上の企業や団体の皆様の御尽力はもちろんのこと、サイトやAmazon、ECサイトを通して物資や家電を送ってくださった何万人という皆様、TwitterやFacebookで情報を広めてくださった何十万人という皆様、温かく見守ってくださった皆様、陰ながら協力してくださった皆様、また真摯に改善点を指摘してくださった皆様も含め、協力してくださったすべての方々のおかげに他なりません。

あの日から3年以上が経過し、多くの困難を乗り越えてきた今、みなさま全員とこうした栄誉と喜びをわかちあえることをとても嬉しく思っています。

そして、だからこそ、原点に戻ることの大切さも感じています。

先日、74名の子ども達の命が失われた大川小学校のご遺族でもあり、スマートサバイバープロジェクトという新たなプロジェクトで一緒に活動している佐藤敏郎さんが、韓国の沈没事故のご遺族に向けて手紙を書かれました。以下はその一節です。

「あの子たちの犠牲が無駄になるかどうか、それが問われているのは生きている私たちです。小さな命たちを未来のために意味のあるものにしたい、それが、三年かかってようやく見つけた私にとってのかすかな光です。」

震災をただの悲惨な出来事で終わらせてしまうのか、そこに新たな意味を見出せるのかは、やはり僕らのこれからの行動にかかっているのだと思います。

あらためて関連死も含め亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りするとともに、震災の教訓を活かした防災教育などの活動も視野に入れながら「目指すべき未来」に向かって一歩ずつ進んでいければと思っております。

今後ともどうぞよろしくお願いします。

2014.6.3.
ふんばろう東日本支援プロジェクト代表・早稲田大学大学院客員准教授 
西條剛央

追記:できるだけ多くの活動にかかわってくださった方にお知らせしたいので、可能な範囲でシェアしていただけるとありがたいです。m(__)m

※以下はアルスエレクトロニカにて発表されたプレスリリース用の文章を和訳したものです。
————————————————————————————
-
「ふんばろう東日本支援プロジェクト」
:構造構成主義とSNSを用いた危機的状況に即応する自律型クラウドソーシングモデル
-
2011年3月11日。東日本はマグニチュード9.0、1000年に一度といわれる超巨大地震に襲われた。津波により沿岸は400kmに渡って壊滅的な打撃を受けたことに加え、福島第一原発事故も発生し、日本人は未曾有の複合災害によって国家的危機に陥った。震災による死亡者は15,861人、行方不明者2,939人にのぼった。さらにその後の長引く避難生活や震災の影響によって2916名が死亡し、合計21,716名もの尊い命が失われた (2014年6月現在) 。
-
「ふんばろう東日本支援プロジェクト」(以下「ふんばろう」)は、危機的状況に対応するために、西條により体系化された哲学(構造構成主義)といくつかのソーシャルネットワークサービスを活用した自律的なクラウドソーシング・プラットフォームであり、それによって市民が自律的につながり、様々なプロジェクトを迅速に生み出すことが可能になった。
-
「ふんばろう」はテーマ別の支援活動に特化した各プロジェクトと、岩手、宮城、福島といった3つの前線支部、その他全国の都市にある後方支部からなっており、プロジェクト、支部、運営チームの総数は50以上にのぼる。それぞれが効果的に連携することによって「ふんばろう」は日本最大級の支援組織へと成長していった。
-
西條はプロジェクト立ち上げた時点で、次世代のモデルとして世界に広がることも視野に入れて、Fumbaro Japan Modelという別称も与えた(そのためTwitterアドレスは@fjm2011となっている)。そして実際に、大雨や土砂災害などの大規模災害が発生した際にも対応するより汎用性の高いモデルとしてその方法論が活用されている。
-
「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は、震災直後の緊急支援物資提供活動から立ち上がった。当初、この想定を大きく超える巨大地震によりあまりに広域にわたり壊滅的な打撃を受けたため、行政による被災地の状況把握は困難を極め、必要な支援を行うことも困難な状況であった。そのため、全国から届けられる支援物資は中小規模の避難所や個人宅に残された人々の元には届かない状況が多く見られた。あるいは、その現場の人々のリアルなニーズとは異なる物資が届くという状況が多くみられた。(例えば、ある時電力が途絶え孤立したある避難所が本当に必要としていたのは、大量に届く服や絵本のかわりに、暖をとるために木を切るチェーンソーだったりした、等。)被災したエリアはあらゆるものが流されており、車もガソリンもないため移動は困難で、パソコンやインターネットも使えず、被災者が自分達でできることは極めて限られている状況であり、避難所ごとに必要としているものは異なり、また変化していく中で、支援物資のマッチングは困難を極めた。
-
西條は現地に入り、その場のリアルニーズを把握することからはじめ、ソーシャルメディアなどの既存の利用可能なシステムを、ブリコラージュ的にすぐさま組み合わせて活かすという方法論を瞬時に立ち上げることで、こうしたミスマッチングの問題を解決していった。
-
当初、彼は壊滅した地域に行き、それぞれの地域で本当に必要としているものを聞く活動からはじめた。彼は被災していないエリアに戻ると、翌日すぐにホームページを作り、それぞれの避難所で被災者が必要としているものをホームページや彼のブログに掲載した。そして彼のTwitterにそのHPのURLをリンクして、小さな避難所や個人避難宅では物資を受け取ることができないことや、その時点で被災地で必要としている物資の情報を拡散した。というのも直接Twitterに必要な物資を書き込んでしまうと、Twitterが無限に拡散することにより必要なくなった物資が避難所に届き続けてしまうという弊害が起こるためだ。そのためその都度情報を更新できるHPに情報を書き、それをTwitterにリンクして広めたのである。それをみた人はそれぞれの避難所に直接物資を送る。どこに何をどれくらい送ったかだけ報告してもらい、必要な物資の数を減らしていき、すべて送られた時点でその物資を消す。そうすることにより必要以上に物資が届くことを防ぐことを可能にした。
-
こうして、彼は、現地での聞き取り、電話、宅急便、情報を随時更新できるブログやホームページ、拡散力のあるTwitter、インターネット上の販売サイト(EC)等といった既存のインフラを組み合わせることにより、必要な物資を必要な量だけ必要としている人に直接届ける新たな仕組みを開発したのである。
-
しかし、東北のどこにあるかもわからない何千という避難所を一人で訪ねるのは不可能である。そこでどうしたのか? 彼は、HPからふんばろうのチラシをダウンロードできるようにして、必要物資を届けながらふんばろうの仕組みを伝える営業マンになって欲しいと呼びかけたのである。そして呼びかけに応じた人がそれぞれ独自の判断で動き始めた。物資を届けるときに現地で必要な物資を聞き取ってくると同時に、そのチラシも一緒に渡してもらうことで、避難所から直接ふんばろうに電話できるようにして、継続的なサポートが可能な避難所を何十箇所、何百箇所と広範囲に渡って急速にカバーしていったのである。
-
それによって、震災から1年弱の間に、行政の支援が及ばなかった東北の小規模避難所や仮設住宅、個人避難宅エリアなどを中心に3,000カ所以上に155,000品目、35,000回以上におよぶ物資支援を実現させた。さらに、amazonのwishlistなどの既存システムを援用するアイデアを応用し、55,000アイテム以上の支援を実現した(*2013年度までの動物班の実績も含む)。さらに全国の自治体は被災地に物資を被災していない全国の自治体の倉庫の中でマッチングできずに送り先を失った大量の物資と、被災エリアで必要としている避難所とをマッチングすることで、4tトラック200台分以上もの物資を被災者に届けた。
-
さらに、上記に示された膨大な実績を遥かに上回る意義がある。というのも、支援者は宅配便に自分の住所や電話番号を明記する形で個人や避難所に直接物資を送るため、支援された人は誰から支援されたかがわかる。するとお礼の電話がいくようになる。支援者は被災された方々の生の声で、いかに厳しい状況かを知り、また自分の支援がいかに役立ったかを知る。するとその支援者はさらなる支援を行う。またふんばろうの仕組みを通さずに直接支援するようになったり、現地に直接物資を持ってボランティアに行ったりするようになる。この仕組みは支援者と被災者をつなげて、深い絆を育むきっかけを提供することも意図していたのである。
-
このように、従来のトップダウン型の仕組みが機能しない緊急事態において、支援者と被災者をつなぐことによって、結果として精度が高く心が通う被災者支援が自己組織的に成立する仕組みを構築したのだった。
-
こうしたボランティアによる自律的な支援プロジェクトが生まれた理由は、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げた早稲田大学の西條剛央が約10年前に体系化した「構造構成主義」という考え方が市民ボランティア内で共有されたことによる。その都度「状況」を判断しながら「目的」を実現するための有効な「方法」を打ち出していくという構造構成主義が唱える「方法の原理」という考え方が、市民ボランティア内に浸透していくことで、さらに現場で生まれる新たな課題に対応する新しい方法とプロジェクトが自律的に次々に生まれていった。デジタルツールではなく、いわば「思想」「哲学」がボランティアたちを動かしたのだった。
-
仮設住宅には日本赤十字社から家電が配布されるのに、半壊した自宅に戻っている自宅避難民やアパート等で暮らす被災者には家電が配布されないという理不尽な状況があった。そこで2011年5月には、こうした“支援格差”を埋めるべく、家庭で使われていない家電を回収、清掃して送る「 家電プロジェクト」 を立ち上げた。まず、東京を中心として各地で家電が収集され、 東北各地の被災者に届けられた。やがて夏になると、大量の扇風機が必要となった。そこで専用のECサイトを立ち上げ、 支援者に家電を購入してもらいそれを必要とする被災者に届ける新たな方法を開発した。さらに冬が近づくと、全国各地に散らばった被災者にも支援を行うため、全国紙をはじめとしてあらゆるメディアに大々的に告知を載せ、 それを見た被災者に罹災証明書のコピーと希望の家電を書いて送ってもらい、直接希望家電を送るという新たな方法を提案した。こうした家電プロジェクトは約25,000世帯に家電を贈ったのだった。
-
また当初、被災地は大量の瓦礫で埋め尽くされている中、家も仕事場も流された多くの被災者は避難所で鬱々と過ごす日々を強いられていた。そこで、就労先を失った被災者の重機免許取得を支援することで、瓦礫の処理や復興建設関係への就労を可能にすることを目指した「重機免許取得プロジェクト」を立ち上げ、現地の被災者1,000名以上の重機免許取得にかかる費用の支援を全国から取り付けることにも成功した。
-
他にも状況の変化に応じて、「学習支援プロジェクト」「就労支援プロジェクト」「ものづくりプロジェクト」「布ぞうりプロジェクト」「おたよりプロジェクト」「ガイガーカウンタープロジェクト」「漁業支援プロジェクト」「PC設置でつながるプロジェクト」「緑でつながるプロジェクト」「チャリティーブックプロジェクト」といった30以上のボランティアプロジェクトが立ち上がった。
-
これらのプロジェクトの運営は、目的に応じて、FacebookグループやCybozu、Paypalといった複数の既存システムを駆使して自律的に立ち上げられ運営されていった。明確な境界をもたない市民ボランティアの自律的ネットワークモデル、次々と自己組織的に目的を達成していく市民による市民のための次世代のクラウドソーシングモデルとして「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は災害エリアの支援を実現していった。
-
構造構成主義の「方法の有効性は、状況と目的に応じて決まる」という方法の原理にしたがい、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」では、役割を終えたプロジェクトは速やかに解散したり、状況に応じて組織構造すら柔軟に変えていくなど、一つのモデルに固執しない姿勢が徹底されている。大震災の現場では、前例主義により硬直化した組織の抱える課題が浮き彫りにされた。その教訓がここでは活かされている。

*(以下英文です)。
——————————————
“Project Fumbaro Eastern Japan” won the Golden Nica in the Prix Ars Electronica
Thanks to you all, “Project Fumbaro Eastern Japan”(PFEJ) has won the Golden Nica in the Prix Ars Electronica which is the world’s oldest and most renowned competition in media art.
http://www.aec.at/prix/en/gewinner/
The Golden Nica is the most prestigious international award in the field of contemporary media art and is also known as the Oscar of Media Art. PFEJ has won this years Golden Nica in the category of degital community. Thus, PFEJ is following the footsteps of famous social system like WWW (World Wide Web), Wikipedia and WikiLeaks. They have really changed the world, and we would also like to make a similar impact on society.
After the Great East Japan Earthquake, I was finally able to set out my thoughts in my blog as written below.
“It is never possible for us to perceive a tragic disaster positively, but we can think that it has made us better and stronger. We should aim to utilize the experience to make a better future.”
We would like to propagate PFEJ as a model system around the world to help more people so we would like many organizations and individuals to take the good parts of this project, and customize them to fit there needs.
I would like to take advantage of this opportunity to thank you all for your cooperation.
To learn more about our project, please read the following.
June 2nd, 2014
Takeo Saijo
Director,Project Fumbaro Eastern Japan
Visiting Associate professor, Waseda university graduate school of commerce (MBA)
——————————————
Project Fumbaro Eastern Japan is an autonomic crowd sourcing model to cope with the critical situation utilizing Structural constructivism and Social Network Services*
*The next passage was used in the press release on the website of Ars Electronica.

March 11, 2011. Eastern Japan was hit by a massive earthquake. The Great East Japan Earthquake and the Fukushima No. 1 nuclear power plant accident drove Japan into a national crisis. The number of missing and dead reached 18,800 and in addition 2,916 citizens died from the after effects of the complex disaster. In total 21,716 people lost their lives (as of June 2014).
"Project Fumbaro Eastern Japan" (PFEJ) is an autonomic crowd-sourcing platform utilizing a number of Social Network Services (SNS) and a Philosophy (Structural constructivism) systematized by Takeo Saijo Ph.D. Coping with such a critical situation was made possible by inviting citizens to connect autonomously and initiate various projects rapidly.
Fumbaro is structured as 3 prefectural chapters (Miyagi, Iwate, and Fukushima) several city chapters in Tohoku and other area and other project based groups and administration groups, over fifty in total. "Project Fumbaro Eastern Japan" became the largest organization among the community of multi-skilled volunteers on the internet in Japan by co-ordinating many groups effectively.
This system, also named "The Fumbaro Japan Model" (FJM) could be utilized in other disasters, such as those caused by heavy rain and landslides, as a general-purpose methodology to cope with such situations.
"Project Fumbaro Eastern Japan" began with an emergency supplies project. At first, the damage level of this massive and unprecedented earthquake was so variable depending on the area that it was extremely difficult for the government and the existing framework to identify and determine all affected areas and to provide necessary support. As a result large quantities of supplies sent from around the country did not reach small and medium size shelters and people still living in Tsunami damaged houses. What victims really needed differed depending on their situation. Therefore a shelter in a village suffering from electric power failure needed a chain saw to prepare firewood and not large quantities of clothes and picture books. Everything was washed away in the devastated areas and it was difficult for the survivors to move around or access the internet so the survivors actions were extremely limited.
At first, he visited the devastated areas and started by listening to the individual requirements. With this information he made a homepage (HP) and published details of the individual and unofficial shelters needs on the HP and in his blog the next morning . He linked the URL of the HP to his twitter account and spread information about the fact that survivors living in small shelters and individual shelters could not receive supplies and about what was needed currently in affected areas. Writing about these requirements on twitter tended to cause an excessive supply, on the other hand HP can update the information in real time. Donors were requested to update information about their donations as soon as they were sent. As soon as requirements were satisfied the HP announced this, thus avoiding continued unnecessary supply.
In this way he developed a new structure for delivering essential supplies directly to the right people in the correct quantity by directly listening to survivors requirements in each shelter. The requirements were then met by utilizing the phone and existing infrastructure such as twitter which can disperse information rapidly, a blog and a homepage that can update information at any time and Home delivery services.
However it was impossible to visit all the thousands of unknown shelters in Tohoku. To cope with this dilemma Mr. Saijo spread information about the fact that survivors living in small shelters and individual shelters were not receiving supplies, about what was needed immediately in affected areas, and about how to deliver them effectively. Based on this, he put the Fumbaro brochure on the HP so that anybody could download it, and asked the volunteers to play the role of sales people spreading the methodology of Fumbaro as they delivered necessary supplies. When volunteers made a delivery they asked about survivors requirements and also handed out the brochure which enabled survivors to call Fumbaro directly. As a result hundreds of shelters scattered over a wide area were given continuous support. More than 3000 small and medium scale temporary shelters were supplied with over 155,000 items over more than 35,000 deliveries where municipalities' support did not reach.
We also utilized Amazon’s "Wishlist" system and more than 55,000 items such as bicycles, home appliances etc were donated. Various localities around the country wanted to send supplies but were unable to, due to the lack of storage facilities in the affected areas. FJM was able to match supply and demand and over eight hundred tonnes was supplied.
An additional benefit was that since supporters send supplies with their names and phone numbers on the delivery box, survivors know from whom they have received the goods. Survivors are able to give thanks directly and supporters are able to understand the severity of the situation and how much their help is appreciated through direct contact with the survivors. This connection often motivates the supporters to further action. Some of them start direct support outside of Fumbaro while others start visiting the affected area with necessary supplies directly. This structure nurtures heart to heart connection by directly connecting supporters and survivors.
In emergencies when conventional top down administration systems do not function adequately, we struggle to construct structures that connect supporters with victims needs. Sharing “structural constructivism” systematized by Mr. Saijo among the volunteers made it possible to effectively realize autonomic and organizational activities. For example there is “The principle of methods” in the meta-theory. According to this principle, the effectiveness of a method depends on purpose and situation. So while one person agrees with the method, another disagrees but there is no universally correct method. In fact almost nobody knew what to do after the unprecedented disaster in which existing methods failed. However the principle “The effectiveness of a method depends on purpose and situation” is universal. We can return to this principle anytime to devise an appropriate method depending on the situation and purpose.
For example there was the unreasonable situation in which the survivors who went back to their own half-destroyed houses or who were living in apartments could not receive home appliances delivered by Japan Red Cross, while the survivors living at temporary shelters could. Seeing this situation, we started “The Home Appliance Project” in which we collected and sent donated home appliances, mainly from the Tokyo area.
In summer many electric fans were needed. We set up a special E-commerce web site and developed a new method to deliver home appliances purchased by supporters for the survivors who needed them. When winter came we proposed a new method to support the survivors scattered in many different areas in Japan. We put an announcement in national newspapers and other media, requesting survivors to send a copy of their “Certificate of proof as a disaster victim” and to let us know what kind of home appliances they needed. The “Home Appliance Project” was successful with 25,000 affected homes receiving home appliances.
In the early phase after the disaster, many survivors who had lost their houses and workplaces were forced to live in shelters day after day, surrounded by huge amounts of rubble. With this in mind we started “The Heavy Equipment License Project” aiming to help the jobless survivors get a license to use heavy equipment so they could find a job clearing rubble or in re-construction. This project supported more than 1,000 local survivors to obtain a license to operate heavy equipment.
More than 3,000 volunteers were mobilized for more than 30 projects such as Study aids for kids, Job assistance, Jobs using sewing machines, Teaching traditional Nuno-Zouri,
Hand-made goods, writing encouragement letters, Geiger counter use, Entertainment, PC + Internet use, Horticulture, Fishery projects and Manga/Illustration charity auction projects.
These projects were started and managed autonomously, utilizing existing systems such as Facebook groups, Cybozu, and Paypal. “Project Fumbaro Eastern Japan” has enabled support to disaster affected areas as the next generation crowd-sourcing model which realizes its aims autonomously, for citizens and by citizens, and also as an autonomous network model for civil volunteers. The essential principle of this model is; Effectiveness of the method depends on the situation and aim. “Project Fumbaro Eastern Japan” maintains the principles of not clinging strictly to one model, promptly dropping any project which has finished its role and even changing the organizational structure according to the situation.
In the case of a massive disaster, problems relating to an inflexible approach to relief operations tend to surface. Our creative and flexible approach taught us many lessons for the future.