書評:「自由」はいかに可能か


献本御礼。

本書のポイントは、「自由」の本質を解き明かし、その実質化に必要な諸条件も提示しているところにある。

著者は、ヘーゲルの自由論に立脚しつつも、いろんな手垢を洗い落としていきながら、十全に機能する自由論として「再生」させている。

ヘーゲルを蘇らせることによって取り出された自由の本質は「諸規定性における選択・決定可能性」と定式化されている。




著者は以下のように論じる。
ヘーゲルの哲学から、わたしたちは「自由」の本質を次のように見出した。すなわち、それは「諸規定性における選択・決定可能性」の感度である。より噛み砕いていうなら、できるだけ納得して、さらにできるなら満足して、「生きたいように生きられている」という実感のこと、あるいはまた、「我欲する」と「我なしうる」の一致やその可能性の実感のことである。(p.99)
ここで重要なことは、自由は「状態」ではなく「実感」「感度」だと看破しているところだ。

というのも、自由は「状態」と捉えると、著者が膨大な先行研究の検討を通して整理しているように、「因果からの自由」「恣意としての自由」「解放としての自由」といったさまざまな難問を生みだすことになるからだ。

感度としての自由は、こうした難問解明のトリガーになる。
「解放の状態」や「恣意の状態」に限らず、どれだけ「自由」といわれる状態に身を置いていたとしても、私たちがその中で本当に「自由」を感じられるかどうかは、全くもって別の問題であるからだ。(p.101)
「自由」の本質は特定の状態ではなく、わたしたちの“感度”にあるのだ。繰り返し述べてきたように、「諸規定性における選択・決定可能性」の“感度”、これこそが「自由」の本質なのだ。(p.102)
このように、著者は感度としての自由を定位したうえで、自由を実質化する社会構想のための原理は、以下の3点であると論証している(p.150)。
①「欲望・関心相関性」の原理
②「人間的欲望の本質は『自由』である」という原理
③各人の「自由」の根本条件としての、「自由の相互承認」という社会原理
つまり、各人の世界は欲望・関心を底板に構成されるものであり、その本質は自由をめがけるところにあることから、人間の人間性を担保するためには各人の欲望・関心の本質である自由をお互いに承認するところからはじめる他ない、ということである。

これは極めて重要な議論であり、今後の人間を対象にした領域では外せない理路になっていると思われた。

読者は、以上の議論を念頭に置きながら本書を読むと、さらに理解がしやすくなると思う。

本書は完成度がかなり高い内容であり、ぜひ多くの人に読んで頂きたい。