エマソンに学ぶ「心楽しく生きる」ための哲学



ぼくの好きな哲学者のひとりにラルフ・ウォルドー・エマソンがいます。

作業療法の哲学的基盤であるプラグマティズムの源流に位置する人で、アメリカの知的独立宣言と評価される演説を行っています。

友達の苫野くんの博士論文のテーマがエマソンだったこと、それが作業療法の哲学の起源にあたること、などの理由で興味を持ち敬愛する哲学者のひとりになりました。

深い人間洞察に基づいたエマソン哲学は、ぼくの心に強く響いてきました。

彼の著作はいろいろありますが、入門レベルで特に読みやすいのは以下の書籍です。



特に大好きな一節を、上記から引用します。




ある人のやり方を予測するための手がかりは過去の行動や言葉しかなく、本人も他人をがっかりさせたくないので、過去の言動を大事にする。しかし、どうして後ろを振り返ってばかりいなければならないのか。かりに、矛盾したことを言ったとしても、それがどうだというのか。自分の記憶だけに頼らず、主に記憶によって行う行為でも、ほとんど記憶に頼らず、新しい見方ができるようになった今の自分の目で過去の出来事を判断し、いつも新たな一日を生きること。それが賢明なやり方だと思われる。〜略〜愚かな一貫性は心の狭い人にとりつくお化けで、小心な政治家や哲学者、神学者があがめるものだ。首尾一貫していることなど、偉大な魂には何の関係もない。それくらいなら、壁に映った自分の影に関心をもつほうがましというものだ。今考えていることを力をこめて語り、明日になれば、たとえ今日語ったすべてと矛盾していても、明日考えることを再び真剣に語るがよい。「でも、そんなことをすれば、絶対に誤解されますよ」ーーーそんな声が聞こえてくる。だが、誤解されることがそんなに悪いことだろうか。ピタゴラスは誤解されたし、ソクラテスも、イエスも、ルターも、コペルニクスも、ガリレオ・ガリレイも、ニュートンも、かつて存在した人類で賢明な魂の持ち主はすべて誤解された。偉大であることは誤解されることである。

エマソンは、自分勝手に生きろと主張しているわけでは、まったくありません。

そうではなく彼は、どんな人間でも必ず間違うので、賢明に生きたければそれに囚われることなく、今この瞬間を大切にして生きろ、と論じているのです。

そして、現象をもっとも尊重するならば、過去から現在までの首尾一貫性にこだわるな、と。

エマソン哲学はいろんな解釈が可能で、その評価が分かれるところもあります。

しかし彼の人間洞察は、不完全なぼくたちが心楽しく生きるうえで重要な理路を提供している、と感じています。