実用的には現象でも態度でも

勝手にリレー記事が続いてますね、笑。
ぼくも勝手にリレー記事やります。



ぼくが刺激されたのは、桐田くんの現象と構造の以下の部分からです。
構造構成主義の諸原理は、底の底すぎて「なんでも包み込めてしまう」概念になってしまうところがある。古い言葉で言えば内包と外延の対応関係がリジッドではないのだ。現象と構造の差異は、意外にあいまいである。端的に言えば、構造構成主義は各人に成立した経験的・認識論的・存在論的構造を、「現象」として包括的に尊重するのである。
しかし原理的に考えるなら、おそらく尊重され重視されているのは自己や他者、世界や行動に相対する各人の「態度」(attitude)である。
現象と構造の差異は、動的に変動するので意外にあいまいであるという点は同感です。

構造構成主義はそもそも明確に線引きすること自体を封印するような理路ですからね。



他方、原理的に考えるなら各人の態度が尊重され重視されているというのは、原理的というよりも実用的(プラグマティック)なテーマで捉えると良いように思いました。

例えば、教育という文脈からだと、反抗的な人がいてもその態度を尊重しつつ、対話を重ねるということはありえるかもしれません。

他方、信念対立という文脈からいうと、例えば、患者さんに横柄な態度をとる人がいて、その人にも何らかの現象が立ち現れていると尊重できても、態度を尊重することはできるだろうか、と考えると少し難しいかもしれません。






ここから思ったことは、原理として現象が底板にあるということと、実際に何を尊重・重視するのかは別の問題なのかもしれません。

これまでの研究の積み重ねからいうと、認識の底板にあるのは現象(≒超越論的主観性)という理解でおそらくよいだろうと思います。

それを前提にしつつ、実際に実存的、実践的な意味を尊重、重視するなら「態度」がドアになることもある。

でも、態度はとてもリアルで、ときに尊重、重視できないこともある。

そういうときは、態度の悪い人にも何らかの立ち現れがあったんだろうというところは尊重、重視する。

態度が悪い人が相手でも、それぐらいはおそらく承認できるはずです。

ここでの話は、きっとそう受け取ると理解しやすいのかもしれないなぁと思いました。