文章への赤入れはコミュニケーション

年末年始からずっと研究論文の赤入れしまくってます。

今日だけで7本の研究論文に赤入れしました。

これだけ数こなしていると、ファイルを開いて最初の数行を読むだけで「」か「×」かを判断できるようになります。

イントロの5〜6行を読むと、だいたいどの程度の赤入れが必要なのかを、感覚的に予測できるようになります。

文章がぼくに教えてくれるというか何というか。

この感覚をベースに考えると、赤入れは文章とぼくの身体感覚で共同構成する営為だという話しになりそうです。

これって要するに、実際のコミュニケーションと一緒じゃないですか。

例えば、最初の数行がとっても雑い内容で送られてくると、リアルなコミュニケーションでひどい扱いされたかのような感覚がやってきます。




哀しい気分になります。

逆に、とても洗練された文章だと、その後で少々のことがあってもある程度気持ちよく赤入れできます。

しっかりした文章で書かれていると、ぼくまで適切に扱われた気分になって良好な状態で赤入れできるんです。

あぁそうか。

赤入れはコミュニケーションなんだね。

っていうことは、「」か「×」の判断はぼくが一方通行で行っているわけではないと言うことになるか。

丁寧に赤入れしよっと。