【講義メモ】作業科学(2016年4月20日)

ついつい書き損じていましたが、学部2年生を対象にした「作業科学」の講義メモです。
以下では要点のみ記しています。

わかりにくい点が多々あると思いますが、ご容赦ください。



今回は、哲学的な理路として作業を理解することが目的です。

それは、作業の厳密な理解に役立ちますし、「作業という概念は曖昧だ」という批判が、誤解に基づくものであると理解できるようになるはずです。

さてこれまでの講義を通して、いろいろな作業の定義を見てきました。

例えば、WFOTによると、作業は私たちが行う日々の活動であり、それは家庭や地域のなかで行われ、人生に意味と目的をもたらすものです。

また作業には、する必要があること、したいこと、するように期待されること、が含まれます。

他にも作業の定義はいろいろありますが、哲学的な理路として作業を理解するとは、個別の定義をそれぞれしっかり把握するという意味でありません。

それは、さまざまな作業の定義を根底から基礎づけるような理路になります。



現代作業療法ではあまり注目されていませんが、この講義でたびたび述べているように、作業=occupationという概念の意味を拡張したのは、ジョン・デューイという哲学者です。
彼の著作を丁寧におうと、作業の哲学的な基礎づけの理路が展開していることがわかります。

デューイは、作業療法の創始者たちに多大な影響を与えています。

例えば、デューイの作業の定義は、スーザン・トレイシーによって書かれた世界初の作業療法の教科書で直に継承されています。

この著作は出版後、数十年にわたって教科書として読み継がれています(ダントンもトレイシー本を推奨していました)。

またアドルフ・マイヤーの作業療法哲学に加えて、マイヤーとエレノア・クラーク・スレイグルの習慣訓練はデューイの作業論の影響が顕著です。



さて彼は、『学校と社会』という著作で作業という概念を多角的に論じていますが、その後もさまざまな著書を通してその概念を深化させています。

『学校と社会』では、作業とは子供が率先しておこなう活動形態の一種であり、それは社会生活のなかで実際に行われる仕事を再現したり、それに類似したかたちで行われるものである、と論じています。

ここで子供という概念がでてくるのは、教育の中心方法として作業を論じているからですが、他の著書もあわせて読むと人間全般に妥当する理路であることがわかります。

またここだけ読むと何を言っているのかわかりにくいですが、著書全体を丁寧に読んでいくと、作業は実生活で必要な諸活動一般であり、生きるために欠かせないうえに、社会参加につながるものである、と論じていると理解できます。

さらに言うと、適切な作業は人間の成長に加えて健康状態の改善に役立ち、健全な社会の形成にもつながる、と彼が想定しながら論じていることがわかります。






さて、作業の哲学です。

デューイは『学校と社会』で作業を論じていますが、その哲学的な理路を受け取るには、その後の『思考の方法』『民主主義と教育』『教育と経験』などの著作を読み解いていく必要があります。

こうした著作を解読していくと、作業は経験という概念にしっかりつながることがわかります。

例えば、『民主主義と教育』では、教育は経験による経験の再構成という理路を展開しています。

また晩年の著作『経験と教育』でデューイは、教育は経験すなわち実際の生活経験に基礎づけられなければならないと論じています。

他にもいろいろあるのですが、これらの議論を踏まえると、作業は経験であると解釈ができます。

では、経験とはいったい何か?

ここから哲学者デューイの真骨頂なのですが、彼は晩年の著作『経験と教育』で、経験は哲学的に考えると1)連続性、2)相互作用の2つの原理とその関係性によって基礎づけることができる、と論証しています。

2つの原理はおそらく、あらゆる経験を例外なく基礎づける哲学的な理路として形成されています。

したがって、哲学的な理路として作業を理解すると、作業とは人間の経験である、といえると考えられます。



では、この考え方は現代の作業科学の議論とどうつながるでしょうか。

実は、作業科学者のアン・ウィルコックは、作業とは人間経験の中心であると論じています。

彼女の著書『Occupational Perspective of Health』では、デューイの議論を引用しているわけではなく、作業療法理論、健康論、well-being論、人類学、進化論などの議論を踏まえつつ、経験として作業を言い当てるという仕方でアプローチしています。

この著作は、作業の理路についてものすごくよく考えられていて、哲学的に基礎づけるという意図で書いているわけではないものの、作業=人間経験という哲学的な原理論と同型の理路に部分的に到達していると思います。

やや飛躍しますが、ここからつまりぼくは、作業について深く強く洞察していくと、作業=人間経験という理屈にたどりつかざるをえないという意味があると理解できると考えています。