「〜するべきである」にしたがう道理はない

「〜しなければならない」とか「〜するべきである」なんていう考え方は、ほとんどが生き方の幅をせまくする割に、これといった原理的な根拠がありません。

ちょっと疑えば、たいていがうさんくさいものばかりです。

しっかりした基礎づけがないならば、「〜しないと認められない」などの考え方にしたがうかどうかは、単なる趣味の問題だという話になります。

趣味とは、することが楽しい営みです。

なので、べき論にそって生きることが楽しいなら、ぼくがいうことは特段何もありません。

でも、「〜でなければならない」などと思うことで、しんどいなら話は別です。

ほとんどのべき論に原理的な底板があるわけではありませんから、それにしたがうことがしんどいなら別にルールからはみ出したってよいのです。




「ルールから逸脱すると周囲の人から批判されるかも・・・」と心配になるかもしれませんが、それによって他者に迷惑をかけなければ批判される道理はないんです。

だって、これは趣味の問題ですから、例えばテニスが趣味の人がサッカーが趣味の人に「それは間違っている!」と批判したらめっちゃおかしいですよね。

そういうこと言う人はいますけど、そもそもおかしい批判なんですから、批判者に実際の害を与えていない限りにおいて、まったく気にしなくてよいのです。

「あなたは『〜すべき』なのにそれにしたがわないから私の気分を害した」などと言ってくる人もいるかもですが、それもまたお門違いです。

「〜するべきである」という主張は一見すると強い言明なので、それに従わないと不味いのかなぁと思いがちですが、そんなことはまったくありません。

もっと気楽に生きたらよいんですよ。