ポジショントーク

TwitterのTLに「感動ポルノ」という概念が流れたので、アダルトビデオの新ジャンルでもできたのか、さすがAV大国ニッポンって思ったら、健常者が気分よくなるために障害者を利用する行為をディスるものだった。

障害者にネガティブなイメージを与えて、苦労しながらも努力する姿勢、健気に清く正しく生きる姿勢を演出させて、健常者がそれを見ることによって感動する、そういう構図が批判されているのだろうと思う。

鋭い問題提起ですね。

しかしこれ、「健常者が障害者を消費する」という構図でみるから「差別だ」「偽善だ」という批判を呼ぶのだろうけど、なかなか難しい問題です。

というのも、この手の議論は基本的にポジショントークなので、そう批判している人たちもこの構図を前提にしている限り、結局のところ同型の問題のうちにとどまざるを得ないからです。




そういう構造を自覚しながら「感動ポルノ」を批判するのは建設的ですが、無自覚にやっていると他人のクビを絞めているつもりが自分のクビを絞めていたという結果に陥ります。

「差別は駄目だ」という人が差別的で、「偽善はいけない」といっている人が偽善的だったというのはよくある話しです。

大切なことは、自身がどういうポジションでトークしているのか、をしっかり自覚しておくことです。

それがないと、不毛な信念対立から抜け出せるきっかけがつかめません。

せっかく鋭い問題を提起しているのだから、それはもったいない。

でもまぁ、ぼくは原理的に考えると、世の中の基本はマルチスタンダードにならざるを得ないと理解しているので、そういう現象が起こること自体は仕方がないと思いますが。