自分は自分。他人は他人



人間関係が濃密になると、ちょっとした違いが許せなくなりがちです。

例えば、ちょっとした物言いや振る舞いが気にくわなくなることがあります。

濃密になる前は、そんなことなかったのに。

あるいは、ほんの些細な関心のズレや興味の違いに、感情が逆なでされることもあります。

濃密になる前は、そんなことなかったのに。

濃い人間関係は、信頼、愛情、友情の高まりによって生じるものだけど、同時に自分を、他者を傷つけることもあります。

きっと本当は、仲良くなりたかっただけなのに。

濃密な人間関係がトラブルを引きおこす理由は、「自分は自分。他人は他人」という幼稚園児でもわかる基本ルールを逸脱するからだ、とぼくは思います。

例えば、あなたが「〜であるべきだ」と思うことがあり、他人がそれを無慈悲に否定したとしても、「あいつはわかっちゃいない」とか「底が知れている」などと批判するのは、人間関係がわずらわしくなるばかりなので可能ならばやらないほうがよいです。

だって、「自分は自分。他人は他人」なんだから、他人の生き方に干渉するのは下品です。




もちろん、赤ちゃんは別ですよ。

親に全面的に依存しないと生存できませんから、親は自他の境界を越えて赤ちゃんのためにひたすら面倒を見るしかありません。

だけど、親子であっても子の自我が芽生えはじめた頃合いから、上記の基本ルールはしっかり守る必要があります。

さて、そう考えると一部の例外を除いて、他人と仲良くなりたかったら、希薄な人間関係のほうがよいのではないだろうか、と思えてきます。

人間関係が希薄だという自覚があれば、いつ関係が途切れるかわからないため丁寧に対応しますから、結果として他人の生き方に土足で干渉し、傷つけるようなことはしないですからね。

そうやっているうちに、気がついたら何十年も関係が続いたときに、事後的にそれを唯一無二の友ができたと言えるのだろうと思います。

他人と仲良くしたい人は、濃密な人間関係という幻想に甘えちゃいけません。

それは、乱暴な人間関係を呼び込みます。

「自分は自分。他人は他人」なんですから。