重い時間



臨床は答えのない出来事がいっぱいあります。

ぼくが作業療法として歩みはじめた頃、直面したのは「何もしたくない」「このまま死にたい」と訴える方との重い時間でした。

作業療法は、意味のある作業へ関わる機会を作ったり、作業ができるようになることによって、その人の健康状態を改善し、少しでもその状態に満足できるように支援していく技術です。

その前提にたつと、クライエントがやりたいこと、必要とされていること、をうまく共有し、それにつながっていける条件を作っていくことに力点が置かれます。

特に最初の一歩を踏み出した頃は、関心の照準がそこに強く向くため、どうしてもそうなりがちです。




すると、上記のような人を前にすると、なかなか戸惑うわけです。

経験を重ねるうちに、そう訴える人の想いをただ受け止めてる意味に気づきはじめます。

生きる意味を内省しながら、耳を澄まして時間をともに過ごすこと。

それが、次の一歩につながるときがあると晦渋しながらでも感じるようになります。

が、それとて正解があるわけではありません。

答えのない状態に向きあい続けるのは、なかなかしんどいものです。

あっと驚くようなソリューションはありません。

でも、重い時間をともに過ごすことにも、クライエントの可能性につながる意味が何かあることがあります。

割り切れないことにも意味があることがあります。

作業療法士は戸惑いながらも、その可能性を信じるしかないのかもしれません。