専門は自己規定しない



こころ楽しく生きるには、仕事や領域などで自身のスペシャリティを自己規定しないほうがよいです。

それが暗黙の前提になって、人生のハンドリングに自由がなくなるからです。

例えば、「私の専門は臨床だ」という前提をもつと、そこから逸脱しうる可能性のある選択肢が消えます。

人生に「もし」はありませんが、かりにそれを選びとることが、将来的に臨床の発展に貢献しうるものであったとしましょう。

でも、それを選ぶ時点で逸脱しうる可能性が全面にでていたら実質的に選ぶことはありません。

将来的に臨床の発展に貢献できれば、あなたはこころ楽しく生きられるはずなのに、自己規定がクリアにあるとそれが難しくなるわけです。

もちろん、ぼくも講師略歴などで専門を聞かれたら、ぼくは「作業療法、信念対立解明アプローチ」と書きます。




でもこれは、便宜的にそうしているだけであって、ぼく個人の感覚で言うと実のところ、それで自己規定していません。

研究スタイルもその感覚を反映しているので、理論的研究、質的研究、量的研究のどれかに特化したものにはしていません。

どれも楽しいから、どれも使うわけです。

ぼくたち人間は、こころ楽しく生きるために生きています。

もちろんこれは根本仮説ですけど、不条理に満ちた人生をサバイブするためには役立ちます。

こころ楽しく生きるためには、人生のハンドリングの可動域を広げておく必要があります。

人生は予定調和ではないからです。

そんなこんなで、仕事や領域で自分自身の専門を自分で決めてしまわないほうがよいという結論に達するわけですね。

自分の専門は「〇〇だ」なんて決めつけず、もっと肩のチカラを抜いたらよいんですよ。