自他の行動は自他の自由



ビックリするかもしれませんが、作業療法的に考えると、ひとにはデタラメを言う自由があり、それを信じるも信じないもあなたの自由、という話になります。

デタラメを言うことは決して推奨されることではないものの、ひとは他人からさげすまれる行為を行う自由がある、と作業療法的には考えることになります。

哲学的に言えば、作業療法はひとの意志に基づく行動を最大限尊重する立場だからです。

作業療法の哲学的源流を踏まえれば、そう理解せざるを得ません。

もちろん、作業療法的に考えると、デタラメを言った結果として、信頼を失った責任は本人が取るしかありません。

つまり、結果責任は行動した本人がとるという前提のもとで、デタラメを言っているなら言わせておけばよい、という理解を作業療法は提供するわけです。




もちろん、デタラメを言う人は、それがバレたら他人からアホだバカだといわれるでしょう。

もしかしたら、評価が地に落ちるかもしれません。

デタラメを言う自由があるとは、それによって評価されることとセットでないのです。

作業療法的に考えると、ひとにはデタラメを言う自由があると同時に、他人を馬鹿にする自由もあるからです。

他方、作業療法の視点で考えると、自分がやってほしいことを他人に伝えてやってもらう自由はあるものの、それ抜きに他人に何かしてもらう自由はありません。

哲学的に言うと、作業療法は主体的に何かする自由は擁護するのみであり、誰かにちやほやしてもらえる受動的な自由を基礎づけていないからです。

そう考えると、作業療法士は、他人の自由を制約することに対してはセンシティブであったほうがよいでしょう。