「条件」を考える



ぼくの基本思考法は、ある事柄が成立する「条件」を考えるというものです。

「4条件メソッド」も「信念対立解明アプローチ」も、基本的にはこの思考法で理路を展開し開発しました。

最近は、信念対立解明アプローチに相当のリソースを注いでいます。

信念対立解明アプローチの中核方法である解明(解明術)もまた「条件」を考えるというものです。

つまり、信念対立はどういう条件があるから起こり、そうであるがゆえに、どういう条件があればそれの成立を根っこから阻止できるか、と思考し、実際に条件が整うよう実践していくわけです。

条件を考える利点は、上手に考えることができれば、立場が違っても了解できるような強靭な本質と原理を抽出できるという点にあります。

つまり上手に条件を考えると、シンプルでパワフルな考え方に至ることができる、という良さがあるのです。

この思考法であれば解答がだせる問題も、違う思考法で攻めるがゆえに難問化しているケースも少なくないと思います。

問題が難問化する「条件」は、問いの立て方が間違っているか、思考法が間違っているか、のどちらか(あるいは両方)によっているのです。

条件を考えるとは、そうした事態を回避し、力強い理路に至る可能性の方法だと言えるでしょう。

さて最近、院生とoccupation-based practiceの実質化について議論が続いています。

うちの研究室は、作業機能障害研究と構造構成主義研究が二大看板なので、信念対立解明アプローチからoccupation-based practiceまで幅広い議論があちこちで展開しています。

話題を戻すと、occupation-based practiceの実質化は、どうも難しい。




ぼくは臨床家時代、人間作業モデルを武器にそれの実質化に挑み、一定の結果を出せたように思えたこともありましたが、サスティナブルなものにはなりませんでした(結果の一部は論文化しています)。

どうも一芸必殺の域を超えない。

熱意ある人がその現場から遠のくと、すぐに非occupation-based practiceの波に飲まれてしまう。

ぼくが知る限りにおいて、このデッドロックはいろんなところで起きています。

で、ぼくの発想で大きく言えば、問題は、どういう条件が整えばoccupation-based practiceが過剰な努力なしにサスティナブルなかたちで実践されるようになるのか、というものになります。

occupation-based practiceが特別な前提がなければ難しいのは作業療法の認知度・理解度が低いからだとか作業療法理論が複雑すぎるからだとか作業療法士の立場が弱いからだなどと言う人がいます

だけど、世の中にはもっと認知度・理解度が低くても、複雑怪奇な理論に基づいても、立場が弱くても、自分たちの専門性を反映した実践の困難さが問題になるような事態に陥っていない領域もあります。

ということは、occupation-based practiceの実質化にはもう少し別の条件が必要だという話しになりそうです。

作業療法士の皆さんは、どういう条件が整えばoccupation-based practiceが過剰な努力なしにサスティナブルなかたちで実践されるようになるのか、と問われたらどう答えますか。

ぼくの答えは、kだplrpげmふぇplふごwww