思考法を変えよう



人間の「思考」のクセのひとつは、知らないうちに「物事を対立図式で理解する」ところにあります。

クセとは、無意識のうちにできてしまう行動です。

これは惰性が非常に強いので、意識していても知らないうちにできてしまいます。

物事を対立図式で理解するという思考パターンは、ぼくたちが注意していても知らないあいだにでてしまう傾向なのです。

対立図式の思考法にはいくつかメリットがあります。

そのひとつは、混沌とした世界をシンプルに見せてくれることです。

おそらく、世界はカオスで不思議なことで満ちていますが、この状態だと人間には複雑すぎて理解できません。

でも、彩りゆたかな世界を白と黒でベタッと塗り分けてしまえば、とてもシンプルな世界像になるので、ぼくたちでも理解できる程度の情報量に圧縮することが可能です。

対立図式の思考法はシンプルなので世界を理解しやすくなるというメリットがあるのです。

ところが、これには深刻なデメリットがあります。

それはいったいなにか。




結論から言うと、それは、彩りゆたかな世界を白と黒で無理やりベタ塗りしてしまうため、どーしても根源的な対立=信念対立を生みだしてしまう、というものです。

世界は本来、赤、青、黄、紫などなどいろんな色彩で構成されています。

なかには、人間には知覚できないがゆえに、いまだ名もなき色もあることでしょう。

世界は多様性に満ちています。

ところが、対立図式の思考法は、それを白と黒にスパッとわけてしまうため、どーしてもそれに当てはまらない事柄がどんどんでてきてしまい、悩ましい信念対立の発生につながってしまうのです。

信念対立の行きつく果ては、「殺しあい」です。

究極のところでこの問題はそれにつながるんです。

ぼくたちの「思考」のクセは、知らないうちに「物事を対立図式で理解する」ことに求められます。

が、習慣になってしまった偏った性質だからといって、そのままでよいという話にはなりません。

思考法を変える必要があります。

少なくとも、ふつーの人も、変態の人も、憎しみの人も、真面目な人も、嘘つきの人も、愛の人も、それぞれが殺しあうことなく固有の生を全うしようという前提を承認するなら、思考法を変える必要があるという主張には一定の妥当性があります。

あるんです。

「どっちが正しいか?」「〇〇のほうが正しい」などの感覚にとり憑かれたときは、知らないうちに「物事を対立図式で理解する」というワナに陥った可能性に気づくようにしましょう。