禁止教とは距離をとろう




こころ楽しく生きるためには、ルールで禁止するのは極力避けたほうがよいです。

理由は、いったんルールで禁止すると、ルールを守ること自体が目的になってしまい、どんどんおかしな方向に進み、こころ楽しく生きにくくなるからです。

例えば最近、マンション内で挨拶禁止とか地域の餅つき禁止などのニュースがありました。

挨拶するかどうかは、自分のアタマで決めたらよいのであって、ルールで義務づけるようなものではありません。

友だちでも気乗りしなければ挨拶しないこともあるだろうし、知らない人でも上機嫌なら挨拶することだってあるでしょう。

それを、一律に人々に強制するのは馬鹿げています。

餅つきだってそうです。

餅をつきたい人はつけばいいし、それが不衛生だと思う人は自分の判断で食べなければよいし、喉に詰まる危険が予見されそうなら口に入れなければよいのです。




それを社会ルールで決めてしまって、人々から選択の自由を奪うのは、ほんとーにおかしな話です。

もちろん、「危険だから禁止する」というのは一理あるでしょう。

でもそれをなぜ他人が決めなければならないのでしょうか。

ぼくたちが誰に挨拶しようと、ぼくたちが何を料理しようと、ぼくたちが何を食おうと、個人の勝手ではないですか。

禁止ルールは、守れるなら守ったほうがよいのは当たり前です。

でもそのことと、安易に日常生活における選択の自由を、社会的ルールで禁止してもよいということは、同じではありません。

また生き死にを考えると、どんな状況で、どんな目的のときに、どんなルールを守るのかを、自分で判断できるチカラを養った方がよいに決まっています。

本来、ルールは目的を達成するためのツールなんですから。

アホなおせっかいに騙されちゃいけないよ。

こんなこと書いていると、そのうちblog禁止などと言われかねないなぁ。

ぶひっ。