行事は構造



若い男性の3割がクリぼっちという実態が明らかになった、とYahoo!ニュースにのっていました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161224-00000016-asahi-soci

こーゆー記事を読むと、「クリスマスは家族や恋人と過ごすものだ」という信念にとり憑かれた人が一部でいるんだろうなぁと感じちゃいます。

でも、クリスマスというのは人為的に構成された構造であって、不変で普遍の外部実在でもなんでもありません。

つまり、他人(家族も含む)と一緒に過ごすことが好きな人は、クリスマスに一緒に過ごせばよいだけであって、たとえそーゆーことが好きでも諸事情で難しい人や、他人と一緒に過ごすのが嫌いな人は一人で過ごしたらよいのだ。

他人と一緒に過ごすのが嫌いな人は、たとえクリスマスに一人でいても心のなかは「くりぼっち」でもなんでもなく、むしろ平安に時を過ごせて満足しているに違いありません。

それを他人がぼっちやら何やら言うのは、下品の極みです。




これは、盆、正月などのさまざまな行事でも同じです。

その手の行事は不変で普遍の外部実在であるため、そーゆーことするわけではありません。

そーではなく、過去の人びとが構成したルールであって、それが年月をへて文化圏を形成するようになり、気がついたら何千万、何億のひとが同型の行動をするようになっただけで、基本的には関心に応じて構成された構造に過ぎないんです。

だから、本来はそれをやると楽しい人がやればよいだけの話であって、たとえば正月に親族と顔を合わせるのが嫌な人は無理して帰省しなくてもよいんです。

関心に応じて作られたものなんですから、関心があわなければそれにあわせる理由がそもそもないんですから。

行事は構造。

その前提で皆さんそれぞれの仕方で楽しめばよいんです。

クリスマス万歳!