臨床実習の信念対立はどう克服するか



臨床実習の信念対立のひとつに、症例基盤型臨床実習臨床参加型臨床実習(クリニカルクラークシップ、以下CCS)の確執があります。

臨床基盤型臨床実習では、実習生が1名から2名程度の対象者を担当し、臨床家からのフィードバックとレポートを通して作業療法の評価・介入の整理を行い、理解を深めていきます。

他方、CCSでは、実習生が臨床家の指導・監視のもとで一定範囲の作業療法の評価・介入を行い、作業療法の基本の修得を行います。

そして、症例基盤型臨床実習になじんだ人はCCSを批判し、CCSになじんだ人は症例基盤型臨床実習を批判する、という構図ができあがることがあります。

前者の人は、CCSに対して臨床家の負担増という問題、学生の理解不足という問題などがあると指摘することがあります。

他方、後者の人は前者に対して、診療報酬に関する問題、無資格者が対象者を担当する問題、レポートに過度に依存してしまう問題などがあると指摘することがあります。

ではいったいどっちが妥当な主張なのでしょうか?




結論を言うと、上記のような問を立てたら、この信念対立は克服できません。

哲学者・教育哲学者のデューイが指摘しているように、教育とは目的を達成するための方法です。

また教育の一般目的は、哲学者・教育哲学者の苫野くんがいうように、自由の相互承認という感度を身につけることだろうし、臨床教育に限って言えば実習生が作業療法の知識と技術を使って最低限模倣レベルでできるようになることだと言えるでしょう。

症例基盤型臨床実習でもCCSでも、教育目的が適切に達成することさえできれば、ぶっちゃけどっちでもよいのです。

目的を達成するためには、方法が目的をめがけているかということと、もうひとつ状況にあっているかを考える必要があります。

どんな方法も状況を無視したら変なことになるからです。

症例基盤型臨床実習でもCCSでも、臨床教育が過度に負担だと感じるときは、状況を無視している場合が少なくありません。

例えば、人手が足らないのに、推進者の主張を真に受けて、毎回のセラピーでその場でフィードバックしていたら上手くいかないのは当然です。

またいつでもどこでもレポートを重視するあまり、対象者と関わる時間を削ってまで文章作成していたら、これもまた(学生の)負担増にしかなりません。

空気以上に、状況を読めないのは問題なのです。

もちろん、目的と状況にかなっているかのように思える方法でも、それが上手くいくかどうかは究極のところやってみなくちゃわからない。

絶対に正しいと思う方法でやっても上手くいかないことだってあるからです。

それが実践というものではないか。