意味不明な議論を行うコツ



職業がらたくさんの研究論文を校正します。

すると、クリアな議論にならない構造が明晰にわかってきます。

そのひとつが、ひとつの単語に複数の意味を込める、というものです。

例えば、作業。

「単調な作業で疲れた」と書くと、特に意味を感じないものの何らかの理由で繰り返し行わざるを得ない課題、というニュアンスで受けとることができます。

他方、「人間にとって作業は意味の源泉である」と書くと、特別な価値を持つ活動というニュアンスが引き立ってきます。

作業療法がわかりにくいとしたら、おそらく作業という言葉が多義的に使われがちだからです。

他には、健康という概念も意味不明になりやすいです。

例えば、「WHOの健康観を前提にすると、ほとんどの人が不健康になる」と書けば、健康を身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態として認識していると理解できます。

ところが、「病気や障害があっても健康に生きることができる」と書くと、主観的に満たされた状態というwell-beingよりの個人的な体調に関する認識というニュアンスを受けとることができるでしょう。




ひとつの研究論文のなかで、特定の単語に異なる意味をこめてしまうと、とたんに意味不明な議論になります。

逆に言えば、意味の通りやすい議論を組み立てるには、ひとつの研究論文では特定の単語に特定の意味を込めるようにすればよいのです。

「作業参加」は社会文化のなかで責任を諸活動に関わること、「作業遂行」は何か行うこと、と決めたらそーゆー意味から外れないように概念を使用する。

本質は概念の意味の中心である、原理は立場が違っても了解可能な理路である、と決めたらそのフレームワークからズレないように議論を組み立てる。

これを上述したように、例えば本質と原理を互換的に使いはじめると意味プーな議論へともっていくことができます。

意味不明な議論を行うと、人によっては「なにやらすごいこと論じているぞ!」と感じてくれます。

そーゆー人たちに褒められたいときは、あえて意味不明な議論を行うとよいかもしれませんw。

あえて意味不明な議論を行いたいときは、ひとつの単語に多義的な意味を込めるようにしましょう。