民主主義の意味と限界



ドイツのヒトラーやアメリカの現状などから、民主主義の限界を指摘するのは簡単ですけど、そもそも民主主義って何でしょうか。

そのナイーブなイメージでいうと、意志決定は多数決で行うからマジョリティの意見にくみしやすい、とか、マイノリティにはつらいシステムである、などになるかもしれません。

特に、いまのアメリカを見ていると、そのイメージが強化されがちです。

けど、民主主義に関する文献を読むと、そーゆーものでもないらしいということがわかります。

例えば、民主主義について知りたい人は以下がオススメ。



本書をひもとくと、民主主義の根本原理を明瞭に理解できます。

いかにいくつか引用します。
  • すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、それが民主主義の根本精神である。
  • すべての人間が、自分自身の才能や長所や美徳を十分に発揮する平等の機会を持つことによって、みんなの努力でお互いの幸福と繁栄とをもたらすようにするのが、政治の最高の目標であることをはっきりと悟るであろう。それが民主主義である。そうして、それ以外に民主主義はない。
  • 民主主義は、きわめて幅の広い、奥行きの深いものであり、人生のあらゆる方面で実現されて行かなければならないものである。民主主義は、家庭の中にもあるし、村や町にもある。それは、政治の原理であると同時に、経済の原理であり、教育の精神であり、社会の全般に行きわたっていくべき人間の共同生活の根本のあり方である。
いかがでしょうか。


こうしてみてみると、民主主義というのは多数決で決めたらどんな横暴も許されるというものでもなければ、マジョリティがマイノリティを弾圧してもよい、というような考え方では決してない、ことがわかると思います。

民主主義の根本モチーフは「自由の相互承認」であり、真面目な人も、不真面目な人も、健康な人も、不健康な人も、ノーマルな人も、アブノーマルな人も、お互いの幸福と繁栄のために平等に機会が与えられるものである、というものです。

確かに、民主主義では便宜的に多数決で意志決定しますし、たいていの場合、多数決で決まったことには少数派もしたがう必要があります。

マジョリティが暴走すると、かつてのドイツやいまのアメリカのように民主主義から真逆の全体主義が生まれることになります。

しかし本書でも「民主主義は多数決を重んずるが、いかなる多数の力をもってしても、言論の自由を奪うということは絶対に許されるべきではない」と明確に書かれているように、民主主義では多数決が成立する条件のひとつに「言論の自由」を担保しています。

だから、本来の民主主義の意味をふまえると、いま現に表れている民主主義の限界のような現象はそれの誤用だという話にもなりえるでしょう。

とはいえ、実際に民主主義の国でそれを否定するような全体主義的な動きが活発化しています。

民主主義はお互いの幸福と繁栄のための理路ですが、その内側に全体主義や独裁主義の生成を阻止できる仕組みがそなわっていない。

この根本問題を前提に、民主主義の基礎づけ直しが必要な時期になっているだろうと感じています。