プラトンのメノンで学ぶ原理的思考



最近、プラトンが(何度目かの)マイブームです。

読み直すと、毎度新たな気づきがえられます。

ぼくはギリシャ語がぜんぜんダメなので、原著から読めないのが残念です。

原文のまま読めないのはかなりのマイナスですけど、ぼくの専門は哲学ではなく信念対立解明アプローチと作業療法だからしょーがないのだ、とうそぶきながら翻訳(日本語と英語)でしこしこ学んでいます。

さて、ぼくはプラトンの著作のうち『メノン』が昔から好きなんです。


理由は、問いの立て方がとても参考になるから。

信念対立を解くためには、共通了解可能な理路をつむぐ必要があります。

そーゆー思考法は原理的思考と呼びます。

信念対立解明アプローチは原理的思考を技法化したという側面があります。

共通了解可能な理路をつむぐうえで重要になるのが、「問い」です。

問いは、理路の出発点であり、その後の展開を決定づけるものです。

ぼくにとって『メノン』はそれを分かりやすく示してくれています。

では、どんな問いの立て方が示されているか。




プラトンはソクラテスにこう論じさせます。

以下引用。
「君が挙げたいろいろの徳についても同じことが言える。たとえその数が多く、いろいろの種類のものがあるとしても、それらの徳はすべて、ある一つの同じ相(本質的特性)をもっているはずであって、それがあるからこそ、いずれも徳であるということになるのだ。この相(本質的特性)に着目することによって、「まさに徳であるところのもの」を質問者に対して明らかにするのだが、答え手としての正しいやり方というべきだろう」(pp.15-16)
「それでは、メノン、これまでの推論にしたがうかぎり、徳というものは、もし徳が誰かにそなわるとすれば、それは明らかに、神の恵みによってそなわるのだということになる。しかしながら、これについてほんとうに明確なことは、いかにして徳が人間にそなわるようになるかということよりも先に、徳それ自体はそもそも何であるかという問を手がけてこそ、はじめてわれわれは知ることができるだろう」(p.118)
はじめてこれを読んだとき、「そーだよ!そーだよ!ソクラテス!!」と感動したものです。

例えば、ある事柄について問われたときに、いろいろな例を挙げながら説明するのはそれ自体を説明したことにはなりません。

作業療法の例でいうと、作業について問うた場合、それを「仕事、あそび、日課、休息」であるとか「意味のある行うことすべて」などというのは、作業それ自体を言い当てたことになりません。

前者は作業の種類を述べただけですし、後者は作業の行為性を言い当てただけですからね。

『メノン』は、共通了解可能な考え方を示すためには、概念の意味の中心をとことん掘り下げていく必要があり、そのためんはどういう視点(問い)をもつとよいのか、を明瞭に教えてくれます。

実世界で生きていると、そーゆー感度は忘れがちなので『メノン』はそれを思い出させる装置として機能しているなぁと感じています。

強く深く考えるには、どーゆー視点(問い)で考える必要があるのかを知りたい人はぜひお読みくだされ。