カントが泣いている



臨床家や研究者にとって倫理は非常に重要ですけど、昨今のそれをみていると単なる手続き論に陥っているので「カントが泣いているぞ」と感じています。

倫理に関して、プラトンもアリストテレスも素晴らしい議論を残していますが、ぼくのなかではカントが今も昔もめちゃ熱です。

ぼくは昔から倫理が好きでありません。

倫理よりも「原理」、そう公言してきました。

でも、人間のよき生を根源から問う倫理は別です。

その例のひとつが、カント。

倫理を手続きとしてしか語れないヤツは、カントの実践理性批判でも読んだ方がよいです。

まじ。

 


さて、カントの倫理はヘーゲルから徹底批判されて乗り越えられた感があります。

けど、でもカントの定言命法って人間のよき生を考えるうえでいまなお魅力を放っています。

それは、自分なりの規範が、誰にとっても通じる規範かどうかを吟味し、それに耐えうる規範にしたがって生きよ、というものです。

例えば、あなたが「人の陰口を言っちゃいけない」と思ったとしましょう。

それは、他に人もそう思うかを吟味するのです。

で、確かにそう思うだろうと感じたら、「人の陰口を言っちゃいけない」という規範を大切に生きよ、と。

それが、人間のよき生であると言うわけです。

倫理の最高峰のひとつといえるこの考え方は、昨今の倫理まがいの単なる手続き論などでは決してありません。

本来、倫理とは人間のよき生の可能性を確保する理路(考え方)であり、それを守らなければ罰せられるとか、その手順さえ守っていればうるさく言われない、などといったものではないのです。

倫理は本来の機能を取り戻す必要があるんじゃないか。

それでもぼくは「倫理よりも原理」と主張すると思うけどね。