信念対立は存在しない!?



極々まれに「信念対立は存在しない」というご批判を受けることがあります。

これは、「〇〇というケースは信念対立とは言えない」などの各論ではなく、大きな総論として「そもそも信念対立という問題は存在しない」という批判です。

さらに極レア批判として、信念対立は「関東に存在しない。関西ローカルの問題だ」というものもあります。

学問の自由がある以上、だれでも批判はできますけど、この種の批判には次の問題点があります。

要点をいえば、「信念対立は存在しない」という批判は、「存在する/存在しない」「ある/ない」という二項対立図式をすでに前提しており、実のところ信念対立が成立する構造に依拠してしまっている、というものになります。

つまり、信念対立は存在しないという批判は、すでに信念対立という問題に突きあたった批判になっているのです。

「存在するかしないか」「あるかないか」を問うたら、その時点で先に進めなくなる。

こーした批判を展開したい人は、まずこのことに気づく必要があります。

で、もっと正しく批判したければ、こう問うてください。




信念対立が存在しないと感じちゃうときはどーゆーときか」、あるいは「信念対立なんてないと感じちゃうときはどーゆーときか」です。

上述したように、「信念対立は存在しない」という批判は、すでに信念対立という構造に依拠してしまっています。

そのため、「信念対立は存在しない」と力強く主張すればするほど、「それ自体が信念対立だよね」という話に陥ってしまいます。

他方、例えば、こころ楽しく生きられているときや円滑に職務が遂行できているときなどは、「信念対立は存在しない」と感じることがあるのも確かです。

なので、ぼくたちはどのような条件のもとでは信念対立なんてないと感じうるのだろうか、と問うのです。

この問いは、信念対立構造に依拠していないため、力強く問えば問うほど信念対立が強化されるということはありません。

ないんです。

信念対立という問題は「存在しない」「ない」と批判したい方は、それによってむしろ信念対立を肯定してしまうことがないように、問いの立て方をしっかりと変えるようにしましょう。

ナイーブな批判でどーこーなるほど、この問題は簡単ではないですよ。