過去と未来の狭間で



100年前に作業療法が誕生したとき、当時の人達にとって極めて先進的で大きな路線変更を求めるものでした。

100年後の現在、障害者の社会参加や自立生活、地域生活は当たり前の考え方になりました。

現代の作業療法は原点の現代化を基本的方向性にもっています。

しかし、ぼくの考えでは、そこに閉塞感の源泉があります。

作業療法の源流を徹底的に調べれば調べるほど、いまぼくたちが新しい考え方かのように感じていることは既に手垢のついたアイデアだ、と気づかざるを得ないからです。

言いかえれば、現代の作業療法最大の課題は、次の100年を牽引するような大きな物語がないことなんです。

いまいる人たちが聞いたら思わず冷笑したり、バカげていると批判したり、無視したくなるぐらい大きな路線変更を求めるようなビッグピクチャーがないんです。

作業療法のはじまりには、それがありました。




例えば、作業療法の源流である道徳療法を牽引したピネルは、道徳療法の非常識さに怒った時の権力者から圧力をかけられたり、一般の人たちに取り囲まれて罵声を浴びて身の危険を感じたりすることもありました。

しかし、いまでは精神障害者を鎖につないだり、牢屋に閉じ込めることのほうが非常識です。

むしろ、現代社会では、作業療法として発展的に継承された道徳療法の「精神障害者を人道的に処遇する」という考え方は常識になっています。

次の100年につなげるために、ぼくたちには100年前のビジョンを超えるビッグピクチャーを描き出す必要があります。

いま、ぼくたちが取り組む理論研究は最低でも次の100年を支えるものにしたいと心底考えています。

しかし100年前の創始者達がその後遭遇したように、仮に大きな路線変更を示すものであれば様々な無理解や誤解を呼ぶものになるかもしれません。

でも我々が先に進むためには、明るい未来につながるようなビッグピクチャーが必要になるはずです。

どんな未来であれば、人類はいまよりも幸福な人生を歩めるようになるでしょうか。

いまを生きる作業療法士として、新しい世界のあり方を考えていきたいですね。