他者理解よりも他者承認


ぼくが信念対立解明アプローチで伝えたいメッセージは、極めて単純です。

それは、異なる世界観をもつ人を理解できなくてもよいから承認しましょう、というものです。

ぼくたちは理解できない他者を前にすると、差別・批判・誹謗・中傷・憎悪・否定などの行動にかりたてられることがあります。

しかも、そう行動する人は、(本当に正しいかどうかは別にして)正義は我にありと信憑している。

例えば、障害者の世界観は一部の人にとっては理解し難いもので、それが障害者差別や中傷を生むことがあります。

また、性的マイノリティの性的嗜好は多くの人にとって理解しづらく、批判・憎悪の対象になることがあります。

しかし、異なる世界観をもつ人を理解できないということは、差別、批判、憎悪などの行動の正当化の理由には決してなりません。

ならないんです。




基本、他者の世界観は複雑怪奇なのでそのすべてを理解することは不可能です。

また原理的に考えると、ぼくたちは他者を理解できているかどうかを確かめる術をもっていません。

せいぜいできるのは、理解したと感じちゃう条件を確認することぐらいで、それ以上もそれ以下もないんです。

哲学で言えば、他者とは理解不可能な何かなんです。

だから、理解できないからといって他者を攻撃してたら、つまるところ誰も生き残れないのです。

でもぼくたちは、理解できなくても承認することはできます。

それは例えば、理解できない他者に出会ったときに「世の中いろんな人がいるよね。人それぞれ違うんだから、まぁ好きにやって頂戴」と相対化するだけでよいんです。

多様性の承認は、お互いの自由と平等を不可逆的に侵害しない限りにおいて遵守したほうがよい。

信念対立解明アプローチの片翼はそうした理論と技法でできており、そうしたメッセージが広く伝わるとよいなぁと願いまする。